
日本の最東端に位置する南鳥島(東京都小笠原村)は、その沖合の大水深6,000mの海底面にレアアースを多く含んだレアアース泥が存在することで話題になっていますが、1900年代前期にはグアノ(糞化石、鳥糞石:リン鉱石)採掘が盛んに行われた「日本で最初のリン鉱採掘の島」でした。しかし、1933(昭和8)年にはリン鉱が枯渇して無人島になり、今では海上自衛隊や気象庁などの職員が常駐しているのみで、民間人の立入は禁止されています。
南鳥島は小笠原・父島の東南東1,220kmにあり、日本では唯一日本海溝の東側にある島です。1896(明治29)年に水谷新六が小笠原の母島から約20人を移住させてアホウドリの羽毛採取やコプラ生産、カツオ漁業を始め、開発が進みました。島には“水谷村”という集落が形成され、島も「水谷島」と呼ばれました。水谷は1898(同31)年に東京府から島の貸与を受け、この年に東京府が島を「南鳥島」と命名して日本領土となっています。1902(同35)年にはアメリカとの間で領土問題が起こり、外交協議によって日本領土であるとなった「南鳥島事件」が起きています。
開拓当初はアホウドリの羽毛がかなり取れたようですが鳥類が激減したために主産業は剥製作成に変わり、1903年(同36)年2月に水谷は東京府に「鳥糞採取願」を提出し1ヶ月後に許可を得てからはグアノ採取が盛んになりました。当初から大量のグアノ・リン鉱を産出したようで、大正初期には年間600トンのリン鉱を産出しています。島の中央から港にかけて運搬のためのトロッコがひかれ、出稼労働者が60~70人に達したそうです。1922(大正11)年に経営が全国肥料会社に移りましたが、リン鉱価格の急落や肥料業界の不況、資源の減少などよって業績が低迷し、廃業となって昭和の初めには漁業に従事する数世帯のみが生活する島になってしまいました。そして1933(昭和8)年頃には漁業者も引き揚げ、南鳥島はもとの無人島に戻ったのです。
南鳥島が注目されたのは、伊豆諸島・鳥島(東京都八丈支庁)において玉置半右衛門がアホウドリの羽毛の輸出によって巨万の富を得たことから一捜千金をもくろむ人々が鳥島と同じような島を探す「南方の無人島発見ブーム」が起きたからです。水谷もその中の一人でした。
南鳥島における事業経営は労働者にとって過酷を極めました。1900(明治33)年9月に南鳥島へ渡航した出稼ぎ労働者9人のうち5人が脚気などで死亡し、病気の2人が軍艦「高千穂」に収容されています。また,1902(同35)年6月の渡航者25人は高潮によって飲料水が汚染されたため赤痢が発生し、8人が死亡しました。労働者は減少し、1903(同36)年には14人になっています。水谷新六は1903(同36)年2月、東京府知事への「始末書」を提出させられました。
グアノはリン鉱石が発見されるまで最も主要なリン資源でしたが、ナウル共和国をはじめ他の南洋の島々も南鳥島と同じように採掘地の多くはすでに掘り尽くされ枯渇しています。