現代時評《民意無視の原発再稼働》井上脩身

新春現代時評!!

東京電力柏崎刈羽原発(東京電力HPより)

新潟県の花角英世知事は12月23日、東京電力柏崎刈羽原発の再稼働に同意すると、赤沢亮正経済産業相に伝えた。来年1月20日ごろ、同原発6号機が再稼働する。東電としては福島原発事故以来初の再稼働で、「事故を忘れた原発時代」の本格的到来となる。問題なのは新潟県民意識調査での6割の県民の「再稼働ノー」の意思が無視されたことだ。同県では1996年、巻原発建設計画に対し、住民投票で6割が反対票を投じ、東北電力が計画断念に追い込まれた。「6割」の反対意思が今回は意図的に軽く扱われたのである。その意図が、原発再稼働に積極的な高市政権の意図であることはまぎれもない。

柏崎刈羽原発では福島原発事故から1年後の2012年3月、6号機が定期検査のために停止し、全ての原子炉が停止した。東電は、福島原発事故処理のための巨額負担を抱えるなか、6、7号機の再稼働を経営再建のカギと位置づけた。2017年12月、原子力規制委員会が福島原発事故後に定めた新規制基準に適合しているとして、安全審査に合格。岸田政権が原発回帰政策に転じたこともあって、6号機に核燃料を装着するなど、東電は再稼働に向けての技術的準備を進めてきた。立地自治体の柏崎市と刈羽村の首長も再稼働容認の姿勢を示し、手続き上残るのは花角知事の同意だけとなっていた。
花角知事は「県民の意思を見極める」として2025年9月、1万2000人を対象に県民意識調査を実施。その結果、「再稼働の条件が整っているか」の質問に対し、原発30キロ圏全体で61~63%が「整っていない」と返答。県民全体では61%が「再稼働条件が満たされていない」と答えた。さらに「東電が運転するのは心配」との回答も60%にのぼった。
この調査によって、再稼働に否定的な県民が多数であることが判明したが、花角知事は11月21日、臨時の記者会見を開き、再稼働容認を発表。花角氏は「(容認、反対)どちらかを取れば、反発が残るのは避けられない。反発を小さくしたいので、多くの人の声に時間をかけてうかがうというプロセスを大事にしてきた」と述べた。反発が出ることは始めからわかっていたことだ。意味不明な弁明に、いったい何のために意識調査をしたのかと、疑問視する県民も少なくなかった。
会見に際して配布された資料には、容認の理由として「火力に依存した東日本の電力供給の脆弱性や電力料金の東西格差などの観点から、再稼働が必要だとする国の方針は理解できる」(11月22日、毎日新聞)ことが挙げられている。この文言から察すると、知事は国に容認を迫られたのであろう。県民意識調査結果を無視したことについて、知事が不明瞭な釈明をしたのも、むべなるかなである。

柏崎刈羽原発は、田中内閣による電源3法の制定(1974年)に先立って1969年、柏崎市、刈羽村の両議会が誘致を決議。1975年、東電が1号機の建設許可を申請し、1985年、1号機が営業運転を開始。1997年、7号機が運転を開始し、総出力821万2000キロワットと、当時、世界最大の出力を持つ巨大原発になった。
地元議会の議決によって立地に動き出した原発計画に、地元住民たちが黙っていたわけではない。1969年、原発予定地の住民が「原発反対荒畑を守る会」を結成。荒畑町内会で1972年、原発の賛否に関する住民投票が実施され、賛成39、反対251と、9割近くの住民が原発誘致に反対した(鎌田慧『日本の原発地帯』岩波書店)。しかし、議会の議決という厚い壁を崩すには微々たる力でしかなかった。
だが、このささやかな住民投票は無意味ではなかった。24年後、巻原発立地反対運動で生かされたのだ。
巻原発は東北電力が同県巻町角海浜(現・新潟市西蒲区)に建設を計画、1969年、地元紙の新潟日報のスクープで表面化した。1977年、巻町議会が「原発に関する決議」を賛成19、反対2で可決。翌1978年、東北電力は82・5万キロワットの1号機を1981年に着工、1986年に運転開始すると発表した。こうしたなか、原発反対派が「巻原発設置反対会議」を立ち上げると、賛成派が「明日の巻町を考える会」を旗揚げ。同町内は原発推進派と反対派に二分され、家族や親戚、友人間でも言葉も交わさなくなるほどのギスギスとした空気に包まれた。やがて「住民投票で決めよう」との声が高まり、「巻原発住民投票を実行する会」が結成された。1996年6月、町議会で住民投票条例が可決、同年8月、原発立地の是非をめぐって、我が国初の住民投票が町の選挙管理委員会によって実施された。
その結果
投票率88・29%
原発反対12,478票(61%)
原発賛成7,904票(39%)
結果が発表されると、「巻原発反対連絡会議」の事務所から大歓声がわきあがったという。賛成派町議から「住民投票は参考意見でしかない」との声が出たが、負け惜しみでしかなかった。かくして巻町は「原発のカネに頼らない町」を選択したのだ(新潟日報報道部『原発を拒んだ町』岩波書店)。
東北電力は2003年12月、巻原発の設置計画を撤回、2004年2月、設置許可申請を取り下げて巻原発反対派の勝利が確定。その発表は、柏崎・荒畑町内会の住民投票という小さな芽が、しっかりとした幹に育ったことを表した。

原発に関する住民の意思について、まだ建設に至っていなかった巻原発と、再稼働を目指す柏崎刈羽原発とを、同列に置くべきでないことはいうまでもない。だが、反対の意思を示した住民がともに60%であることは重要であろう。柏崎刈羽原発は1号機の運転を始めてすでに40年が経つ。自治労によると、1978年から2009年までの間の、原発の固定資産税や電源3法交付金などによる柏崎市の原発財源は2364億円にのぼる。地元が原発マネーによって潤ったことはまぎれもない。にもかかわらず、60%の住民が「原発のカネは要らない」と思っているのだ。
おそらく国は新潟県民の意識調査結果に衝撃を受けたのであろう。原発推進派にとって、30年近くも前の巻町の住民投票が、今も覚めやらぬ悪夢であったに相違ない。巻の二の舞を踏まないために、住民の意思に重きを置いてはならない。そのような目に見えない圧力がかかっていたとわたしは推測する。
しかし、いかに県民意識調査結果を軽視しようと、60%の住民が「原発再稼働ノー」であった事実を隠しおおせるものでない。60%の数字は、福島原発事故に加えて原発についてのさまざまな不祥事や不手際が報道され、住民の不信感が募っていたことを示したとみられている。だが、巻原発の場合は、福島事故の前であり、原発が存在していないのだから、当然のことながら不祥事はない。でも60%は「原発ノー」だった。このことは何を意味するのか。福島事故後、政府や電力会社は「安全」「安心」を声高に叫ぶようになったが、地元住民の60%は「原発のカネは要らない。安心・安全は信用できない」なのである。
鈴木直道北海道知事は12月18日、北海道電力泊原発3号機について、再稼働の同意を赤沢経済産業相に伝えた。電気事業連合会のホームページによると、現在、原子力規制委員会の安全審査中の原子炉は泊原発や浜岡原発、志賀原発、島根原発などの9基にのぼる。安全審査で合格すれば、再稼働を目指すことになり、この国は再び原発大国になる。「民意無視の原発大国」。柏崎刈羽原発の再稼働の同意はその第一歩なのである。