柳生は山里である。今では奈良市内から車で小一時間で行くことができる。かつて作家の山岡荘八氏が「春の坂道」の構想を練ったという屋敷はかつての柳生藩家老小山田主鈴の隠居宅であり資料館として残されている。特に特徴のある山里ではないが、柳生家が治めていた時代、柳生藩の時代に思いを寄せることのできる静かな山里である。ボクが訪れたときは、畑で農作業しておられた婦人が「最近猿が多くって」と嘆いておられたが、イノシシや鹿も出るだろうと思われる山間の里である。そういえば奈良市内や近隣の町では熊も出没するというニュースもあった。柳生ではどうなんだろうと心配する。余談だが奈良市では自治会に未参加の人のために「クマよけの鈴」を無償配布するという。むろん柳生地区も含まれる。 https://www.city.nara.lg.jp/soshiki/110/248047.html
その奈良から「春日山と高円山の谷あいの道を通り、奈良市街地から柳生まで通じる古道、柳生街道。沿道に誓多林(せたりん)、大慈仙(だいじせん)、忍辱山(にんにくせん)など、インドの聖地に見立てた仏教由来の地名が今でも残っていることから、奈良・平安時代にはすでの山岳仏教の道場となっていたと考えられる」と説明にあった。
https://www.city.nara.lg.jp/sightseeing/naraharu/111707.html
柳生新陰流が興されて以来、柳生の里には柳生街道を通り、「柳生の剣」を求める武士が行き交ったと言われている。戦国時代の武将、上泉伊勢守秀綱によって今から500年ほど昔に創始された、日本を代表する剣術流派で、時代劇や小説などで「柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)」という名称が流布されているが、単に「新陰流」が代々柳生家に伝わったために外部の人が言った俗称であり、正式な流儀名を『新陰流』という。
また柳生藩初代の藩主柳生宗矩は1621年(元和7年)、徳川家光が江戸幕府3代将軍に就任すると、将軍家の兵法指南役を担い、徳川家光に対して新陰流を伝授したという。
そのような柳生地区は今獣害には脅かされているが、それでも静かな山里である。