丹波国は京の都から北へ、もしくは西へ幾度となく山を越えて谷を渡って行くことができる。また兵庫県の北に位置する中国山脈に位置する。つまり今でいう兵庫県と京都府にまたがった、そして兵庫県は日本海と瀬戸内海にその海岸線を持っている県でもある。古来丹波を詠った詩は多い。いずれも山を詠い野鳥を聞いた歌である。見方を変えれば山深く鬼が通うような世界だと言える。
鴨鳥の 遊ぶこの池に 木の葉落ちて 浮きたる心 我が思はなくに
作:丹波大女娘子 (たにはのおほめのをとめ)
丹波道の 大江の山のさな葛 絶えむの心 我が思はなくに
作:不詳
大江山 いく野の道の遠ければ まだふみもみず 天の橋立
作:小式部内侍(こしきぶ の ないし)
平安の昔、京の都に夜な夜な出没する鬼どもは、都の若い娘をかどわかしたと言い伝えられている。都大路の羅城門や朱雀門に巣喰う鬼も人々を恐れさせた。彼奴らは喰い詰めた庶民が盗賊になったと言う場合も多いようだった。また、丹波の国北部の大江山を拠点とした鬼の頭領、酒呑童子や茨木童子たちは、源頼光に退治されたと今に伝わる。これらの鬼どもが通ったであろうと思われる道こそが丹波路であり、時代は変わって今やJRの「丹波路快速」と化けた。それでも丹波は都から遠いし山深い。きっと女の鬼「山姥」も棲んでいただろう。
なお、ここに紹介する写真は作者が丹波の国で得た「イメージ」である。