
残暑と言うのかまだまだ暑い日が続いている。。そんな中、福井から秋の頼りが届いた。彼岸花が、一乗谷朝倉氏遺跡で咲き始めたという。この花は朝倉氏遺跡保存協会が観光客に楽しんでもらおうと2001年ごろから、唐門近くを流れる一乗谷川沿いに毎年少しずつ球根を植えて整備してきたと、伝えたのは福井新聞2025年9月11日付。
彼岸花はその名の通り全国各地で彼岸頃に群生する。花言葉には「悲しい思い出」「独立」「情熱」「諦め」「再会」など、あまり明るい言葉ではない。また墓地で多く見られ、お彼岸に咲き、亡き人と再会できるというイメージや、夏の終わりに咲き、秋を告げる儚さが由来とされているようだ。
別名、曼殊沙華(まんじゅしゃげ)とも呼ばれ、サンスクリット語由来で「天界の美しい花」を意味する。またその妖しい美しさや、神秘的なイメージから「狐の松明(キツネノタイマツ)」、「天蓋花(テンガイバナ)」、あるいは英語の「ハリケーン・リリー」や「マジック・リリー」などが挙げられる。一方で「死人花」や「地獄花」など、毒性や、墓地に咲く性質から連想される不気味な別名も持つのは、やはり墓地などで多く見られるからなのだろう。
一乗谷朝倉氏遺跡は戦国大名・朝倉氏が5代103年間にわたる越前支配の拠点として計画的に築いた城下町跡であり、当時の朝倉氏の繁栄を見ることができる。
朝倉氏は越前(福井)の有力な戦国大名だったが、信長が将軍・足利義昭の要請を受けて上洛した際に、信長に臣従せず、敵対関係が決定づけられた。
信長は浅井・朝倉連合軍を金ヶ崎の退き口で、滋賀県北東部を流れる「姉川の戦い」で勝利し、1573年(元亀3年)に一乗谷城を攻め落とし、朝倉義景は家臣に裏切られて自害し滅亡した。
そんな悲劇的な歴史を秘めた一乗谷朝倉氏遺跡に咲く彼岸花の持つ「独立」「情熱」「諦め」と言った別の花言葉にこそふさわしいのかもしれない。