散歩道《六道の辻》片山通夫

華やかな平安時代の貴族社会

京都の話。なんだかおどろおどろしい話になる。彼岸の季節に丁度いいようだ。平安時代、京の都は寝殿造りに貴族が源氏物語に見るような生活をしていた。(写真左)一方庶民はと言えば、貴族とは異なり、非常に質素で自然の恵みに大きく依存していた。主食は白米ではなく、米をかさましした粥や粟などの雑穀で、衣食住は簡素で、住宅は貴族の屋敷とは異なり、地面を掘った竪穴式住居や、土間と簡単な床のある町家が一般的だったようだ。同じ時代、都には墓地ともいえない遺体を捨てるところが化野(あだしの)、鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)などが共同の葬送地として定められ、庶民の遺体はそこで「風葬」や「遺棄葬」にされた。

その鳥辺野は東山にあり、六波羅蜜寺などのある東大路の外側にあった。六波羅密寺の付近には「六道の辻」があり、六道珍皇寺と言う臨済宗建仁寺派に属する寺がある。驚くなかれこの寺は平安時代の貴族、小野篁(おののたかむら)という人が同寺の井戸から地獄の閻魔様のもとに夜な夜な通っていたと言われている。地獄で閻魔様に仕えて書記のような仕事をし、昼は平安の役所に勤めていたというモーレツな役人だったようだ。
ちなみに彼は小野小町の縁者だとか。

そんな六道の辻はお盆になると閻魔様にお参りする人々でごった返す。また近くには「幽霊子育飴」と言う飴を商う店がある。この店に関しては下記のURLを見てください。  https://kosodateame.com/ame/