
ボクの家の最寄りの駅(JR)から、ちょっとした旅のつもりで各駅停車の電車に時には乗る。その電車はおよそ2時間かけて明石と言う東海道線の駅に着く。駅は高架駅なので、冬などは吹き晒しだ。今は真夏なのでうだるような暑さ。駅のホームからは明石城址が見える。この城は明石藩の政庁と藩主の居所が置かれていた。別名、喜春城(きはるじょう、きしゅん-)、錦江城(きんこうじょう)とも呼ばれる。この城には天守がない。大分県中津城の天守を移築する予定だったらしいが、から天守を移築する計画があったらしいが、築城に神経をとがらせる幕府に配慮し、また大砲の技術が進み標的になる建物を建てる必要がなかったとの理由で天守は造られなかったと伝えられるが定かではない。
その明石で有名なのが「魚の棚」と呼ばれている商店街。御多分に漏れず近郊の台所として、明石の海で獲れる魚がおいしい。昼網と言ってその日の昼には競りにかけられ、店頭に並ぶ全国的にも珍しい鮮度第一の商店街だ。
もう一つ有名なのが「子午線」。北極点から南南極点まで、北極海、アジア、太平洋、インド洋などを通過して結ばれている東経135度線が市内を突っ切っている。この135度線が我が国の標準時を定めている。そして明石私立天文科学館でその子午線を確認できるようだ。
もう町中子午線だらけで、JRと並行して走る山陽電気鉄道本線の人丸前駅のホームを突っ切っている。
この駅名も面白い。調べてみればわかるが、「ひとまる」は飛鳥時代の歌人・柿本人麻呂を指し彼を祀る神社がある。一度ゆかれてみれば。
代表作を2首
淡海(あふみ)の海(み) 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ(『万葉集』巻3-266)
石見のや 高角山の 木の間より わが振る袖を 妹見つらむか(『万葉集』巻1-132、通称「石見相聞歌」)