1923年9月1日。100年余り前のこの日は言わずと知れた関東大震災が起こった日である。この地震で直接的に亡くなられた方はおよそ10万5000人にのぼった。
また全壊家屋10万棟以上で建物の倒壊に加え、地震発生が昼食時だったことから大規模な火災も発生し被害を拡大させた。この被害にも驚かされるが、地震直後から流言飛語が飛び交い、横浜市では「朝鮮人暴動の流言が流布」し始め、翌2日正午には横浜全市にこの流言が伝わった。一方警視庁には1日午後3時以降「朝鮮人に関する誤報」が届き始め、
「神奈川・川崎方面より朝鮮人が来襲する」という通報により、東京市内の官憲が朝鮮人の襲撃に備えて警戒していたとされる。
このような誤報が積み重なって2日夜には警視庁から新聞社に「朝鮮人暴動」などが流言であることを伝えているが、当局は、一部の「不逞な朝鮮人」による暴行等の事件は発生しているとしたうえで、新聞社により誇大な報道がなされているとし、流言報道の沈静化を図ったが、そうはならなかった。流言飛語、噂がうわさを呼び、関東一円で自警団の結成が見られ、東京府で1,593団体、関東地方全域で3,689団体が組織されたと言われている。
この背景には韓国併合と日本の不況により朝鮮人との対立増加が上げられる。
1905年(明治38年)、乙巳保護条約(第二次日韓協約)により日本による韓国の植民地化が始まり1910年(明治43年)8月29日、日本は「韓国併合に関する条約」を締結し、朝鮮の一切の統治権が「完全且永久」に日本へ「譲与」された。また併合後に本格化した「土地調査事業」により、朝鮮の農民は祖先伝来の土地を取り上げ、農村での生活が困難になった多くの朝鮮人が、日本や満州に移り住んだと言う事実がある。
このように日本は色々の角度から朝鮮および朝鮮人を理不尽に抑圧した。逆に言えば、在日朝鮮人は「いつ不満を爆発」させるかわからない怖い存在だったのではないか。理不尽な植民地化の根底に、増え続ける朝鮮人への恐怖ともいうべき心理が日本人にあったのではないか。その朝鮮人にたいして、関東大震災をきっかけに爆発して、自警団の結成、虐殺に及んだと筆者はみる。「不逞朝鮮人の暴動」、「井戸に毒物を入れる朝鮮人」などと言う流言飛語は、東日本大震災でも散見された実に古典的なデマだが、日本人にとって、となりで生活する朝鮮人は、心をゆるせる相手ではないということは、悲劇的である。人間関係は互いの信頼で成り立つ。それが流言飛語や不信などから、信頼関係を結べないのは悲しい。もとをただせば日本人側のせいなのにだ。
もういい加減に我々は目を覚まさな無ければならない。在日韓国・朝鮮人をはじめとする外国人に対する恐れや嫌悪は未だ日本人の心の底で生きているとみられるのは、決して正しいことではない。相互の信頼はまず歴史を直視する所から始まる。