現代時評《反ユダヤ主義》片山通夫

絵画「エルサレムの包囲と破壊」デヴィッド・ロバーツ画

最近、新聞紙上などで「反ユダヤ主義」と言う言葉がよく聞かれる。イスラエルがハマスとの戦闘でガザ地区を攻撃している状況の中で、イスラエル側についたアメリカのトランプ大統領などからも、彼にとっては金科玉条のようこの言葉をよく聞くことがあるが、ユダヤ教やその歴史、またナチスのホロコーストなど、あまり日本人になじみのない歴史や言葉が頻繁に出てくる。もう一度筆者もおさらいするつもりで考えてみることにした。

 まずこの反ユダヤ主義とは辞書などで調べてみると、「ユダヤ人やユダヤ教に対する偏見、敵意、憎悪、迫害、差別を指す。これは宗教的、人種的、あるいは政治的な理由からユダヤ人を排斥しようとする思想であり、歴史的にはホロコーストのような大量虐殺の根源にもなった」と言うようである。簡単に言うとユダヤ人への偏見、差別であり、排斥でもある。

 我々が知っているのはナチス(1933年から1945年までドイツを統治した国家および政党の通称)が行ったユダヤ人迫害、抹殺は有名である
 しかし史上では、ナチスのホロコーストだけでなく、ユダヤ人の迫害の歴史は古く、古代から始まり、キリスト教の国教化(392年、ローマ帝国のテオドシウス帝がアタナシウス派キリスト教を国教としたこと)以降、十字軍や宗教改革、ポグロムといった暴力行為、そして最終的にはホロコーストに至る。
 ホロコーストはナチスによる組織的なユダヤ人約600万人の虐殺であり、反ユダヤ主義(ユダヤ人に対する偏見や嫌悪)がその背景にあった。

 ではなぜユダヤ民族はかくまでも長きにわたり、反ユダヤ主義にさいなまれて北かと言うと、実に「反キリスト主義」のなせる技だった。つまりユダヤ人はキリストを信じなかった。キリスト紀元の最初の1000年間で、ヨーロッパのキリスト教徒(カトリック)階層のリーダーたちは、すべてのユダヤ人はキリストの処刑の責任を負い、ローマ人による神殿の破壊とユダヤ人が分散しているのは、過去の宗教上の罪と、ユダヤ人が自分たちの信仰を放棄してキリスト教信仰を受け入れなかったことに対する罰であるという考え方からである。

 実際、過去2000年もの間、カトリックはユダヤ人を宗教という観点から認めなかった、いや信じなかったと言われている。反ユダヤ主義は、「反キリス教」の裏返しだった。一神教であるユダヤ教もキリスト教も、我が国のように神仏を同時に信じ敬う「宗教」は信じられないだろうし、「反ユダヤ主義」だとイスラエルのネタニヤフ首相は無論、アメリカのトランプ大統領も同様の考えのようだ。

 現在、ヨルダン川西岸とガザ地区、それに東エルサレムとイスラエルは、ローマ時代(紀元前753年。日本ではまだ文字も持たない縄文時代と考えられている)から「パレスチナ」と呼ばれ、聖書に書かれたユダヤ人の王国の土地ともされ、ユダヤ人は古来の祖国とみなしている。1947年、国連でパレスチナ分割決議を採択し、パレスチナの地が、ユダヤ人とアラブ人の2国に分けられ、翌年ユダヤ人がイスラエルの建国を宣言した。

 このように2000年来の歴史が今に生きているし、各国の思惑が交錯しているのがイスラエルとパレスチナ、そしてそれがこの二国の利害に直結しているようだ。そこにはナチスドイツのユダヤ人迫害、広義にはキリスト教(カトリック)との2000年来の争いがあるのが「ユダヤ主義」と「反ユダヤ主義」の戦いの結果だと筆者は考える。日本で言うと、文字も持たない縄文時代からの反目が今に続いている。一神教は我々のような多神教徒には理解できない。

 今、フランスやオーストラリア、カナダなどの各国が、パレスチナ・ガザを国家として認める動きがあり、イスラエルが「反ユダヤ主義」だと抗議している。難しい問題だが、そこにもパレスチナ民族がユダヤ民族と同様の年月を過ごしてきたはずだ。またトランプ大統領のように、気にいらない主義や運動、教育などを反ユダヤ主義と言うお題目で圧力をかけて締め付けるのは感心しない。

 やはりお正月には神道を信じて神社へ、お盆には仏教徒となり、仏さまに手を合わせ、キリスト降誕祭を祝ってクリスマスを過ごす「柔軟さ」が良いのではないかと思う。そんな日本でも宗教がらみの衝突は歴史的には多々存在した。出来れば寛容の精神で臨みたいものだ。