現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 下》井上脩身

参政党の憲法草案

昭和天皇が退位しなかったため、昭和時代は戦後も40年近く経過した1989(昭和64)年までつづいた。1960年ころから経済が高度に成長、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博を経て、「ジャパン・アズ・ナンバー1」といわれるほどに我が世の春を謳歌した。一方、天皇家にあっては、皇太子(のちの平成天皇、現上皇)のご成婚でミッチーブームがわきあがり、皇室と国民との距離が近づいたような空気感のなか、「これが象徴のすがた」とおもった人は少なくなかった。実際、平成天皇として即位すると、「わたしは日本国憲法を守る」と即位のおことばで表したとおり、沖縄など多くの人が犠牲になった激戦地跡をたずねまわった。「平和をねがう象徴」としての役割を自覚しているようであった。2019年に即位した令和の天皇は即位のおことばで「憲法にのっとり」と表し、「日本国憲法を守る」との表現を避けた。わたしは「憲法改正」を政治課題にしていた当時の安倍晋三首相の示唆があったのではと疑っているが、その安倍氏をはじめ自民党の右派たちも、「象徴天皇は維持」としていた。新年の一般参賀で、日の丸の小旗を振って「天皇陛下バンザイ」と叫ぶ人が目につきだしたが、改憲派も護憲派も、天皇が象徴であることはいわば常識であった。
その常識が打ち破られたのがことし2025年の参院選である。「日本人ファースト」をスローガンに掲げた参政党が改選前の2議席から14議席にと大躍進したのである。とくに比例代表では7、425、053票と自民、国民民主に次ぐ大量票を獲得、立憲民主を上回った。創価学会をバックにする公明より220万票も多いこの選挙結果をどう考えるべきであろうか。
日本人がナンバー1ということは、日本人でない人はナンバー2、3、4いやもっと下ということであろう。半世紀前の、日本語学級の子どもたちが「チョーセン」と差別されたことを本稿でふれたが、その差別意識と排他性が公然と大手をふりだしたのである。問題はそれだけにとどまらない。同党がネットで公開している「参政党が創る新日本憲法(構想案)」を目にしてわたしは慄然とした。
同党の憲法草案は前文と33条の条文から成る。

前文で「天皇はいにしえより国をしらすこと悠久であり国民を慈しみ、その安寧と幸せを祈り、国民もまた天皇を敬慕し、国全体が家族のように助け合って暮らす。これが今もつづく日本の國體である」とする。「國體」と旧字体を使っている点に、国体への強いこだわりがうかがえる。「しらす」は漢字で書けば「治す」。国を統治するという意味である。『日本書紀』に出ている言葉という。明治憲法の「統治権を総攬」に近い意味合いであろう。

第1条(天皇)日本は天皇のしらす君民一体の国家であって、天皇は国の伝統の祭祀を主宰し、国民を統合する。
第5条(国民)国民の要件は、父または母が日本人であり、日本語を母国語とし、日本を大切にする心を有することを基準として法律で定める。

以上でわかるように、憲法草案は天皇を主権者とした戦前への復古を示しているが、驚くのは「日本を大切にする心」を国民の要件にしている点である。好き、嫌い、神を信じる、信じないといったひとの心の内に政治は入りこむべきでなく、明治憲法にもこのような規定はない。これが国民要件とされれば、日本を大切にしているかどうかを、政治家や役人の裁量で判断されることになる。憲法草案に言論の自由や信仰の自由が記されてないことを併せ考えると、国に一切の批判が許されない、いや心の中ですら思うことが許されない恐怖国家になりかねないのである。
参政党の勢いは当面止まらないであろう。もし憲法草案どおりに突き進めば、「天皇がおわします優越民族」である日本人が「劣等民族」を排撃することも予想される。もしそうなれば、アジアの国々との衝突は避けられず、アジア・太平洋戦争の二の舞いとなろう。その誤りを起こさないため「象徴」という地位に変えたのだ。だが、310万人もの日本人が犠牲になったことを忘れてしまった国民が増えているということであろうか。

「天皇陛下バンザイ」とラインに書き込んだ友人は、新年の神社参拝を欠かさない。日本人としては普通の習慣である。農耕民族である日本人の精神風土に天皇が宿っていることもまぎれもない事実である。だが、国際化がすすむなか、さまざまな思いを持つ人々が多くなり、天皇観も人それぞれである。「象徴」は、それをふんわりと包みこむような多様性に富んでいる。だからこそ、天皇は世界のどの国でも親しみをもって迎えられるのだ。その「象徴天皇」を「戦前型天皇」に戻せば、日本の信頼は大きく損なわれ、これまでの努力を吹き消してしまう。もしそうなれば、島国の日本は国際的に孤立するハメになる。
これまで縷々述べたように、昭和天皇が退位しなかったことで、「象徴」があいまいになり、「戦前復古」を許すことにつながった。退位して皇太子に譲るべきであったのである。
わたしはいま80歳である。ほとんど戦後とともに生きてきた。「天皇陛下バンザイ」と唱えなければ非国民にされるような時代にわたしは生きたくはない。                (明日14日に全文掲載)