散歩道《あおによし》片山通夫

「あおによし」は、青丹(あおに)という顔料の色が美しい奈良の都の様子を、「咲く花の薫るがごとく今盛りなり(咲き誇る花が香るように、今が最も美しい盛りである)」と表現した歌に由来しているらしい。710年から794年のおよそ90年間の奈良時代は律令制度が確立され、天平文化に代表される仏教文化が花咲き、国際色豊かな、唐の影響を大きく受けた時代だった。

今、当時の華やかな文化の影響を南都七大寺をはじめとする寺々に垣間見ることのできる。南都七大寺とは平城京(南都・奈良)およびその周辺に存在している朝廷の保護を受けた7つの官寺で、具体的には、東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、西大寺、薬師寺、法隆寺をさす。

昔、ボクは自宅が奈良に近かったせいで、ふらふらと出かける機会が多かった。特に写真を素人ながら始めた頃、仏教文化に特に興味があったわけではないが、何もわからずに、二月堂や手向山八幡宮それに若草山などに通った。これらの寺院は拝観するのにお金が要らなかったことも大きかった。またはじめて女性のポートレートなるものを、見よう見まねで撮ったのもこの辺りだった。

ボクにとっては奈良の印象はその程度だったが、なぜかここ何年かは、元興寺の奈良町を散策する機会が多くなった。そしてなぜか元興寺という寺院に惹かれる。飛鳥から奈良に遷都されたときにこの寺院も移ってきたらしい。現代のように引っ越し屋さんが、数台のトラックでというわけにはいかないのだ。人間は良いよ。30キロ足らずの距離を馬であれ、荷車であれ、徒歩であれ、歩くことに抵抗のない時代なんだから。けれども・・・。

もともとは飛鳥にあった日本最初の仏教寺院で、曽我馬子が建立したとされる法興寺(飛鳥寺)を遷都とともに移転され元興寺となった。飛鳥時代の屋根瓦が一部今も使われている。飛鳥と平城京のロマンがここにはある。ボクはそんな奈良町に惹かれている。
平城京に移る前の元興寺は、曽我氏の氏寺だった。それ以前、新しく大陸や朝鮮半島から伝わった仏教派と、所謂アマテラスを祖とする土着の神々を信ずる神道派との戦いだったと聞いたことがある。言葉を変えていうと、仏教受容に賛成する蘇我氏と反対する物部氏の間で対立が生じ、最終的に、蘇我氏が勝利し、仏教は我が国に定着することになった。しかし大化の改新(645年)で曽我氏が滅び、天皇を中心とした中央集権国家に生まれ変わろうとした時代で、曽我氏一族は一掃された。

その後平城遷都がなされ、仏教文化が天平時代に華麗な花を開いた。
小野 老(おの の おゆ)の一首に言う。

あおによし 奈良の都は 咲く花の 匂うがごとく 今さかりなり