散歩道《継体天皇》片山通夫

生年も没年もよくわからない不可思議な天皇がいた。第26代継体天皇のことだ。。元の名はヲホドノオウ。彼は450年生まれで没年は531年とされる。近江国高嶋郷三尾野(現在の滋賀県高島市)に生まれた。滋賀県生まれというのも変わっているし、育ちは母方の故郷福井県三国辺りと言われている。その事実だけを見ても、決して幸せな育ちだったとは思えない。

継体天皇が即位したと言われている樟葉宮(大阪・枚方)

九頭竜川の河口で日本海に面した三国港は越前蟹で有名だ。まずは九頭龍神社の歴史を。九頭龍神社はもともと、箱根神社の境外社として創建されした。古い伝説によると、芦ノ湖に住む9つの頭を持つ毒龍が嵐を呼び村人を苦しめていたのを奈良時代の高僧「万巻上人」が倒し、その後改心した毒龍が龍神となったのを祀ったのが始まりとされている。九頭竜川河口の三国港には三国神社が鎮座している。三国神社には大山咋命(おおやまくいのみこと)と継体天皇が祀られている。武烈天皇に後継者が絶えたため、大連の大伴金村らが候補者を捜し、越前三国にいた男大迹王(後の継体天皇)が選ばれた。

なんだか天皇家は「後継者探し」苦労している印象がある。後継の資格のある者が多いのも後継者争いで大変だけど、いないのも大騒ぎだ。それにしても飛鳥にある朝廷が、どのような伝手で越の国三国にいた継体天皇を探し出したのか。そのネットワークには驚く。きっと滋賀県生まれ、福井県育ちの山出しの(ローカルな)男を天皇に迎えるには、いささかどころではない反対や嫌がらせがあったと思ってしまう。

継体天皇は507年から531年まで在位した第26代天皇とされていて、武烈天皇の後に大伴金村らに擁立されて即位した。在位中には、磐井の乱を平定し、百済や新羅との関係を築くなど、国際的な関係を重視したと言われている。当時の飛鳥はきっと文化の黎明期だったと思われる。少し時代は下がるが、596年には蘇我馬子が発願して建立されたのが日本最初の本格的な仏教寺院の飛鳥寺で、ここから華麗な仏教文化が百済などから伝わった。継体天皇は飛鳥文化の黎明期を飛鳥で過ごしたと言える。

参考・継体天皇研究 佛教大学
https://tsushin.bukkyo-u.ac.jp/crosstalk/4390