岡山の旅《Japan Redの町,備中吹屋》片山通夫

旧吹屋小学校

岡山に吹屋という町がある。その吹屋は弁柄(べんがら)が有名だった。
幕末頃から明治時代にかけては、銅鉱とともに硫化鉄鉱石を酸化・還元させて人造的に製造したベンガラ(酸化第二鉄)における日本唯一の巨大産地として繁栄を極めたとある。場所は岡山県高梁市内の山間部である。その地区6.4ヘクタールは歴史的な街並みが結構な広さで残されている、いわゆる重要伝統的建造物群保存地区であり、ベンガラは土から取れる成分(酸化鉄)で紅殻、弁柄とも呼ばれ、語源はインドのベンガル地方より伝来したことから、そう呼ばれているようだ。吹屋は金属を精錬・鋳造する職業や職人、およびその細工場を吹屋と呼ばれていたのが、その地名となった。

また、その地区の建物は赤い瓦で葺かれているが、その瓦は石州瓦である。石州瓦は島根県の石見地方で生産されていて、粘土瓦を指す。三州瓦、淡路瓦と並ぶ日本三大瓦の一つとされている。

江戸時代の繁栄を「吹屋ふるさと村」の説明から抜粋する。
ー江戸中期から幕領地として吹屋銅山を中心とする鉱山町へと発展し、幕末頃から明治時代にかけては、銅鉱とともに硫化鉄鉱石を酸化・還元させて人造的に製造した弁柄(酸化第二鉄)における日本唯一の巨大産地として繁栄を極めた。主に美術工芸用の磁器の絵付け・漆器、神社仏閣のベンガラ外壁塗装に多用された。最盛期には銅山で働く従業員数が1200人にのぼる。山間に忽然と存在する吹屋集落のベンガラ格子と石州瓦による赤褐色の重厚な商家の町並みが昔日の繁栄を象徴しているー

当時の繁栄が偲ばれるのに旧吹屋小学校がある。2012年3月まで現役の木造校舎として国内最古とされていた。旧吹屋小学校(県指定重要文化財)。1873年に開校し、1899年に吹屋尋常高等小学校と改称して、現在の場所に移転、1900年には木造平屋建の東校舎・西校舎が落成。廃校になって以後、歴史の証人として保存・修理し2022年に完成し現在に至る。

Japa Redとは、江戸時代初期から銅山で栄えた吹屋は、町全体がベンガラ色の外観で統一されているところから言われているようだ。本来弁柄の語源はインド・ベンガル地方からきたとされているが、吹屋の町は石州瓦(赤瓦)で統一されていて、弁柄を多用した「赤い町」だった事からJapan Redと呼ばれているとか。

吹屋の町で