連載コラム・日本の島できごと事典 その164《はも道中》渡辺幸重

祇園祭はも道中(「京都ガイド」サイトより)

京料理で魚と言えば鱧(はも)。祇園祭では「はも道中」があり、祇園祭そのものが「はも祭」と呼ばれるほどハモ料理は京都に欠かせない存在です。はも道中は八坂神社から四条通をハモなどが入った木桶を下げた行列が練り歩き、その後八坂神社にハモが奉納されます。これは古代に御食国(みけつくに)と呼ばれた淡路島から宮中にハモを献上した歴史に由来しています。特に質が高いとされ“べっぴん鱧”とも呼ばれる沼島産のハモがはも道中や祇園祭の饗宴などに多く使われ、京の料理文化を支えています。また、大阪の天神祭でもなくてはならない魚として重宝されています。

ハモは生命力が強く、長距離輸送でも活きたまま京都に運ぶことができたので重宝され、骨切りなどの調理法が開発されました。淡路島のハモには2種類あり、大鳴門橋を境に沼島沖で獲れるハモは「下手(したて)のハモ」、南あわじ沖で獲れるハモは「上手(うわて)のハモ」と通称されます。傷つかないように手のかかる延縄(はえなわ)で獲る高級魚ですが、特に沼島産のハモは骨が柔らかくて皮が薄く、より質が高いとされています。島産のハモは太い胴に比べて口先から目までの距離が短く「顔が小さい」と言われ、口も小さいのが特徴で「べっぴん鱧」という別名があります。また、金色の美しい魚体から「黄金鱧」とも呼ばれます。

沼島のハモ延縄漁は、天明期(1781~1789)頃の始めに沼島の漁師・孫之進が「なかばえ」という延縄を発明し、その後、寛政期(1790~1799)に沼島の漁師であった悦蔵と佐吉が従来の延縄を改良して小アジを海底で泳がせて釣る「かけ延え」を発明して大漁を納めたことなどから盛んになったと言われます。
沼島の魚は豊臣秀吉が大坂に「ざこば」を開いてから大坂・堺・尼崎などの魚市場へ出すようになりました。特に京都や大坂が町人の商業都市として栄えた文化・文政期(1804~1829)には料亭などで活魚を料理に使うようになり、ハモなどの沼島産の魚が高級魚として広く受け入れられるようになりました。