散歩道《哲学の道にて 01》片山通夫
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京都市左京区にある、琵琶湖疏水の西側沿いに銀閣寺から若王子神社(一説には南禅寺)まで続く約1.5~2kmの散歩道。
京都帝国大学で哲学を研究した西田幾多郎氏が、毎朝この道を思索しながら歩いたことにちなんで名付けられた。
ボクもカメラを手に何度かこの小道を歩いてみたが、「哲学」はまったく出来なかった。そもそも「哲学をする」ということの意味がまったくわからない。ふと思った。はたして「哲学はするものか」と。
西田幾太郎氏はこの小道で何を思索していたのか。「哲学をする」ということは何かを思索することならば、ボクにはとても難しい。ボクの撮影姿勢は哲学をする以前に感覚でシャッターを押すことなのだから。
連載コラム・日本の島できごと事典 その181 《風流踊》渡辺幸重

2022(令和4)年11月、全国41件の民俗芸能が「風流踊(ふりゅうおどり)」としてユネスコの無形文化遺産に登録されました。それまでは神奈川県三浦市三崎に伝えられている豊漁・豊作や商売繁盛などを祈願する踊り「チャッキラコ」だけが2009(平成21)年 9月にユネスコ無形文化遺産に登録されていましたが、チャッキラコを含む41件に拡張されたのです。風流踊は「風流」という名称の通り華やかな衣装や持ち物の人が歌や笛・太鼓・鉦などの囃子に合わせて踊る民俗芸能で、除災や供養、豊作祈願、雨乞いなどの願いを込めて催されます。風流踊の41件はそれぞれ国の重要無形民俗文化財に指定されています。
登録されたなかには島嶼部の風流踊として、新島(東京都)の大踊、淡路島(兵庫県)の風流大踊小踊、白石島(岡山県)の白石踊、平戸島(長崎県)のジャンガラ、対馬(同)の盆踊が含まれています。
新島の大踊は新島の本村と若郷に伝わる盆踊りで、室町時代末期から江戸時代初期にかけて全国的に流行した風流踊の流れをくむものといわれています。淡路島の阿万(あま)の風流大踊小踊は毎年9月の亀岡八幡宮の秋祭りに奉納され、大踊は室町時代後期(1550年頃)、小踊は江戸時代中期(1700年頃)に起源があるとされます。平戸のジャンガラは平戸市内の9地区で古くから伝承されており、お盆の頃に奉納されます。対馬の盆踊は起源は15世紀まで遡るとされ、藩士たちが踊る御卵塔風流(おらんとうふりゅう)と特権商人たちによる六十人踊の2つが各地域で融合しながら江戸時代から明治初期にかけて多様な演目が成立したといわれています。以下、笠岡諸島・白石島の白石踊について紹介します。
白石踊の起源ははっきりしませんが瀬戸内海で行われた源平水島合戦の戦死者の霊を弔うために始まったという伝承があります。特徴は、一つの音頭(口説き)に合わせて異なる衣装に身をまとった数種類の踊集団がそれぞれ異なる振り付けの踊を舞うことで、輪の中に混じり合った数種類の衣装や所作が優雅な調和を奏でています。
踊りの種類は現在では男踊・女踊・娘踊(月見踊)・笠踊・奴踊・ブラブラ踊・大師踊・阿亀(おかめ)踊など13種類の踊りが伝わっています。音頭も「那須与一」「石童丸」「丹波与作」「賽の河原」など20余りありますが最盛期には60以上もの唄があったといわれています。
衣装・ファッションは1955(昭和30)年に元禄時代を想定して白石島の観光協会によって決められました。それまでは思い思いにあり合わせのものを着て踊ったということです。
踊りの時期は約30年ほど前から旧暦のお盆から新暦の8月14日~16日の3日間に変わりました。旧暦のころは長期間にわたって踊りが続き、時間も現在の夕方から午後11時頃という時間帯ではなく最近まで“徹夜踊り”の伝統があったそうです。
盆踊りはやぐらや大傘を中心に輪になって踊りますが、家の庭で供養のための踊りを踊る訪問型の「回向(えこう)踊り」も行われます。
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gallery散歩道《酬恩庵 2》片山通夫
gallery散歩道《酬恩庵 1》片山通夫
gallery散歩道《京都三条界隈 1》片山通夫
794 年、桓武天皇により遷都された平安京の都市づくりは、中国の都市計画に学ぶ規則正しい街がつくられました。当時政治都市であった平安京は、位に応じ居住・商いの可能な場所が厳格に定められ、七条大路に接して東西対象に設けられた「東市」「西市」においてのみ商業活動が許されていました。 “gallery散歩道《京都三条界隈 1》片山通夫” の続きを読む
現代時評plus《クマ出没注意!》片山通夫
筆者はほぼ近畿3府県の真ん中に住んでいる。筆者が子供の頃(半世紀以上昔の話)にはまさに「ウサギ追いしかの山 小鮒釣りしかの川」の世界だった。無論かの山は名のある名山ではなくいわゆる里山であり、川は農業用水用の溜池から流れ出る川だった。冬になると村人総出で里山に柴を刈る。その柴は風呂にかまどに使う重要な燃料だった。無論薪も。 “現代時評plus《クマ出没注意!》片山通夫” の続きを読む
609 Studio email newsletter 2025年10月21日号 #1229
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609 Studio email newsletter 2025年10月21日号 #1229
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◆現代時評《臍を噛む人、噛まれる人・・・》山梨良平 “609 Studio email newsletter 2025年10月21日号 #1229” の続きを読む
「里山研究庵だより」第3回
台風が行き過ぎるたび、季節が前へと進んでいくようです。 ここ鈴鹿山中のふもとでは、ソバの白い花が一面に広がる脇に、赤い彼岸花が彩りを添えています。第1回でお知らせした新連載企画「予め長編連載の全体像を把握するために」の
Ⅱ.≪「菜園家族」未来社会構想と日本国憲法との内的連関≫
を当方里山研究庵Nomadホームページに掲載しました。 “「里山研究庵だより」第3回” の続きを読む
散歩道《愛宕念仏寺》片山通夫
gallery〔鬼が行く道 丹波みち 03〕片山通夫
gallery予告〔鬼が行く道 丹波みち 01〕片山通夫
ここ何年かロシアがウクライナに戦争を仕掛けてから、サハリンへの取材は中止の状態である。その代わりと言うわけではないが、以前から気になっていた丹波の国へ通いだした。丹波はボクにとって全くの未知ではないが、カメラを持っては行かなかった。この機会にとボクは丹波へ通いだしたが、イメージは明確には湧かなかった。そして今年、2025年になって、少し写真を撮りだし纏めようという気になった。ボクにとってはかなり特異なトーンの写真だが、決して暗い意味で丹波を見ているわけではないことをお断りしておきたい。また写真は6・70点あり、キャプションはつけないので、「イメージ/印象」を感じていただければ幸いです。
随時不定期で掲載してゆきます。是非ご覧いただければ幸いです。
《「里山研究庵だより」第2回》小貫雅男・伊藤恵子
見上げる空も雲もすっかり秋めいて、ここ鈴鹿山中では、路傍や民家の庭先に、ミズヒキなど山野草の花々が秋風に揺れています。 “《「里山研究庵だより」第2回》小貫雅男・伊藤恵子” の続きを読む
連載コラム・日本の島できごと事典 その180《命のお祝い》渡辺幸重

第二次世界大戦における沖縄戦の激しさと悲惨さは語っても語りつくせぬほどですが生き残った人々も米軍統治下にあって悲しみと苦難の生活を強いられました。その中で生きることへの執着を支えたのが沖縄の芸能でした。ここでは私が強い印象を受けた二つのできごとを紹介します。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その180《命のお祝い》渡辺幸重” の続きを読む
《「里山研究庵だより」第1回》小貫雅男・伊藤恵子
長く厳しい猛暑もようやく峠を越し、初秋の風が吹く頃になりました。
私たちは、モンゴル遊牧地域の調査・研究を長年の間続けながら、並行して日本の農山村の研究に携わってきました。特に2001年からは、琵琶湖に注ぐ犬上川・芹川の最上流域、鈴鹿山中の限界集落・多賀町大君ヶ畑(おじがはた)の里山研究庵Nomadを拠点に、「地域」の視点から新たな未来社会のあり方を探究しています。
不定期ではありますが、609studioホームページの読者のみなさんに、奥山からの「たより」をお届けしていければと思っています。 第1回目は、ちょうど今、当方里山研究庵Nomadホームページでスタートしたばかりの新連載企画をご紹介します。 “《「里山研究庵だより」第1回》小貫雅男・伊藤恵子” の続きを読む