現代時評plus《トランプ関税》山梨良平

 2025年に入ってトランプ氏が大統領に就任して以来、所謂トランプ関税に世界は極度の混乱に陥っている。所で筆者は経済には滅法弱いことを最初にお断りしておく。けれども滅法弱い経済脳でもってしても、いやだからかもしれないが、トランプ大統領がよしとするアメリカの関税対策はどうにも腑に落ちないのだ。(写真は「フランスへ帰る!」自由の女神)

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現代時評《ジェノサイドについて考える》片山通夫

筆者はこのところ毎日と言っていいほど「ジェノサイド」について考える。きっかけは特にない。ただ8月15日が近づくと「終戦(敗戦)がテーマ」の記事や番組がよく見られるのが、きっかけと言えばきっかけである。ボクの心の底流には人が理不尽に殺されるということに関しての嫌悪感が大きく流れている。それも殺される側の人たちの責任ではないと言える場合に。 “現代時評《ジェノサイドについて考える》片山通夫” の続きを読む

散歩道《山城国分寺跡》片山通夫

話は前後する。風土記などを読んでいると、国分寺という名称がよく出てくる。辞書的に説明すると、国分寺とは741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院を指す。国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれる。正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」。なお、壱岐や対馬には「島分寺(とうぶんじ)」が建てられた。

仏教によって国の安全を護るための寺院を国分寺というが、世の常、時代の新旧を問わず、当初は国司の怠慢から国分寺の建立は進まなかったようだ。ゆえに747年(天平19年1月)に「国分寺造営督促の詔」を出し、造営体制を国司から郡司層に移行させ、完成させたら郡司の世襲を認めるなどの恩典を示した。これにより、ほとんどの国分寺で本格的造営が始まった。

律令体制が弛緩して官による財政支持がなくなると、国分寺・国分尼寺の多くは廃れた。ただし、中世以後も相当数の国分寺が、当初の国分寺とは異なる宗派あるいは性格を持った寺院として存置し続けたことが明らかになっており、国分尼寺の多くは復興されなかったが、後世に法華宗などに再興されるなどして現在まで維持している寺院もある。なおかつての国分寺跡地近くの寺や公共施設(発掘調査など)で、国分寺の遺品を保存している所がある。

ボクがこの国分寺に興味を持つのは、ボクにとっては「幻の京」であった恭仁京(くにきょう)の場所を偶然知ったからである。恭仁京は木津川に近い京都府木津川市加茂町にある。

連載コラム・日本の島できごと事典 その177《朝鮮通信使》渡辺幸重

朝鮮通信使の船団

約3,000キロメートル

朝鮮通信使は足利・豊臣・徳川の武家政権に対して朝鮮国王が書契(国書)および礼単(進物)をもたらすため派遣した外交使節団のことで、通信使とは「信(よしみ)を通わす使節」すなわち「お互いに信頼関係を深めあう使節」という意味です。1375(永和元)年に足利義満が日本国王使を派遣、それに対応して高麗王朝が通信使を派遣したのが始まりで、安土桃山時代以降は李氏朝鮮からの派遣に変わりました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その177《朝鮮通信使》渡辺幸重” の続きを読む

【609 Studio】email newsletter 2025年8月12日 #1219

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【609 Studio】email newsletter 2025年8月12日 #1219
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◆現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後》井上脩身
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 毎日のようにラインで近況を知らせてくる旧知の友人の報告のなかに、数年
前から「天皇陛下バンザイ」の書き込みが頻発するようになった。「天皇陛下
バンザイ」という強い響きは、わたしには「名誉の戦死」とかさなり、80年
前のあの重苦しい戦争のイメージがつきまとう。天皇主権の国から、戦後、国
民主権の国になり、天皇自身「戦争勝利の神」から「平和をねがう象徴」に変
わったはずだ。この20年あまり、わが国の右傾化が目立ちだしたが、気の合
う友まで天皇崇拝者になったことにショックをうけ、このままでは戦前のよう
な国になってしまうのでは、とおそれおののいた。その懸念が戦後80年のこ
とし、現実化した。「天皇は国をしらす」と唱える参政党が躍進したのである。
なぜこのようなことになったのか。現人神から象徴へと天皇制が変更されたに
もかかわらず、昭和天皇が退位しなかったことにその一因がある、とわたしは
思う。戦後、この国は生まれ変わるため新たな憲法を制定した。その公布は新
しい天皇の名でなされるべきであった。 “【609 Studio】email newsletter 2025年8月12日 #1219” の続きを読む

現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 全文》井上脩身

毎日のようにラインで近況を知らせてくる旧知の友人の報告のなかに、数年前から「天皇陛下バンザイ」の書き込みが頻発するようになった。「天皇陛下バンザイ」という強い響きは、わたしには「名誉の戦死」とかさなり、80年前のあの重苦しい戦争のイメージがつきまとう。 “現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 全文》井上脩身” の続きを読む

現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 下》井上脩身

参政党の憲法草案

昭和天皇が退位しなかったため、昭和時代は戦後も40年近く経過した1989(昭和64)年までつづいた。1960年ころから経済が高度に成長、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博を経て、「ジャパン・アズ・ナンバー1」といわれるほどに我が世の春を謳歌した。 “現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 下》井上脩身” の続きを読む

現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 上》井上脩身

毎日のようにラインで近況を知らせてくる旧知の友人の報告のなかに、数年前から「天皇陛下バンザイ」の書き込みが頻発するようになった。「天皇陛下バンザイ」という強い響きは、わたしには「名誉の戦死」とかさなり、80年前のあの重苦しい戦争のイメージがつきまとう。天皇主権の国から、 “現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 上》井上脩身” の続きを読む

散歩道《あおによし》片山通夫

「あおによし」は、青丹(あおに)という顔料の色が美しい奈良の都の様子を、「咲く花の薫るがごとく今盛りなり(咲き誇る花が香るように、今が最も美しい盛りである)」と表現した歌に由来しているらしい。710年から794年のおよそ90年間の奈良時代は律令制度が確立され、天平文化に代表される仏教文化が花咲き、国際色豊かな、唐の影響を大きく受けた時代だった。 “散歩道《あおによし》片山通夫” の続きを読む

現代時評plus《80年かかってその程度か》一ノ瀬明

長崎市に投下された原爆のキノコ雲(ウイキペディアから)

今日8月9日は、80年前にナガサキに原発が落とされた日だ。核爆弾の威力はヒロシマで充分味わった。当時の長崎市の人口24万人(推定)で、そのうち約7万4千人が死亡、建物は約36%が全焼または全半壊した。

アメリカがヒロシマとナガサキに形の違う核爆弾を投下したのは、まさに実験だったのだろう。何しろ人間が何万人もいる都市をターゲットに投下したことは、如何に戦争だと言っても許せない暴挙だ。勿論我が国の政府・軍部がせめてもう少し早く降伏していれば、ヒロシマやナガサキの悲劇はなかった。 “現代時評plus《80年かかってその程度か》一ノ瀬明” の続きを読む

散歩道《奈良町辺りから二月堂へ》片山通夫

東大寺戒壇堂辺り

 

前に書いたと思うが、奈良町と言う古(いにしえ)の奈良を彷彿をさせる一角がある。飛鳥から移ってきた元興寺の寺内町だったとおもわれるが、もしかして境内だったのかもしれない。当時の寺院は絶大な力を持っていた。この寺院の屋根瓦の一部だろうが飛鳥時代のものだと言われている。寺院を飛鳥から今でいう奈良町まで運んで来た経済力には驚かされる。 “散歩道《奈良町辺りから二月堂へ》片山通夫” の続きを読む

散歩道《継体天皇》片山通夫

生年も没年もよくわからない不可思議な天皇がいた。第26代継体天皇のことだ。。元の名はヲホドノオウ。彼は450年生まれで没年は531年とされる。近江国高嶋郷三尾野(現在の滋賀県高島市)に生まれた。滋賀県生まれというのも変わっているし、育ちは母方の故郷福井県三国辺りと言われている。その事実だけを見ても、決して幸せな育ちだったとは思えない。 “散歩道《継体天皇》片山通夫” の続きを読む

現代時評plus《原爆の日・ヒロシマ》一之瀬明

撮影:片山通夫

あれから80年が経った。今日は原爆が世界ではじめて実戦で使われた日である。1945年8月6日午前8時15分、連合国のアメリカ合衆国が枢軸国の日本に投下、広島市の上空でさく裂し、ウイキペディアによると9万~16万6千人が死亡したと言われている。 “現代時評plus《原爆の日・ヒロシマ》一之瀬明” の続きを読む

現代時評《一枚の写真》片山通夫

焼き場に立つ少年

既にご存じの方も多いことだと思う。この写真は「焼き場に立つ少年」と名付けられたアメリカ人のカメラマンが1945年長崎で撮ったものである。写真は歯を食いしばって一点を見つめる少年の姿を、おそらく彼の前で燃やされている火を見つめているさまが的確に捉えている。焼き場というタイトル名から、その火が火葬の火であることが理解できる。 “現代時評《一枚の写真》片山通夫” の続きを読む

【609 Studio】email newsletter 2025年8月5日 #1218

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◆現代時評《一枚の写真は語る》片山通夫
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既にご存じの方も多いことだと思う。この写真は「焼き場に立つ少年」と名付けられたアメリカ人のカメラマンが1945年長崎で撮ったものである。写真は歯を食いしばって一点を見つめる少年の姿を、おそらく彼の前で燃やされている火を見つめているさまが的確に捉えている。焼き場というタイトル名から、
その火が火葬の火であることが理解できる。
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