【LapizOnline】アメリカの話。 元メディア幹部のフィドラー氏は1980年代に「人々は紙に印刷された新聞を必要としないだろう」と唱えた。「新聞は持ち運びの出来る機器によって配信される。
そして人々はそれを読む」というわけだ。
印刷された新聞を買うという行為は、端末に配信されるニュースを読むのと同等だ。勢い印刷工場でインクを使って、いや紙そのものを輪転機にかけ、トラックで運び、町の新聞スタンドで販売すると言うスタイルはすでに遅れている形態だと言わんばかり。 “LapizOpinion《Webメディアの台頭》一之瀬明” の続きを読む
現代時評plus《8月に思ったこと》山梨良平

【609stdio】毎年のことだが8月は思うことが多い。これは特に筆者だけではあるまい。思いつくままに書き出してみると、ヒロシマやナガサキと言った「重量級」への思い、敗戦と言った決して芳しくない出来事は当然ながら、これら「重量級」の思いはなかなかかんたんにはここで書くことは難しい。多くの人の命を虫けらのように扱った戦争と言う魔物が80年になんなんとする今もなお重く覆いかぶさってくる。 “現代時評plus《8月に思ったこと》山梨良平” の続きを読む
びえんと《憲法違反の死刑執行》Lapiz編集長 井上脩身
――飯塚事件にみる司法の犯罪――

【LapizOnline】32年前、福岡県飯塚市で小学生の女児2人が殺害された飯塚事件の再審請求審で、福岡地裁は6月5日、再審を認めない決定をした。事件の犯人とされた久間三千年さんは、判決が確定後に死刑を執行されており、死刑後に無実となる初のケースでは、と期待されたが、裁判官は「死刑制度護持」という国家のメンツにしばられたのだ。私は以前、「びえんと」のなかで京アニ事件を取り上げたさいに飯塚事件にも触れ、「報復主義に基づく死刑制度を考え直すよう」求めた。もし久間さんが無実であるならば報復される理由すらない。再審をすべきかどうかを判断するにさいし、「誤った死刑執行ではなかったか」との思いが裁判官の頭の片隅にすらないならば、「無辜の救済」という再審の理念は空念仏になる。 “びえんと《憲法違反の死刑執行》Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む
昔見た風景《食い倒れ人形最後の日》片山通夫

【LapizOnline】写真は永年大阪の人に愛されてきた道頓堀の「食い倒れ人形」最後の日。大勢のファンが集まって別れを惜しんだ。 “昔見た風景《食い倒れ人形最後の日》片山通夫” の続きを読む
現代時評《災害ニッポン、どーする?》片山通夫
【SDGs 609studio】台風10号(サンサン)が日本列島を縦断してようやく熱帯低気圧になり、消滅していった。当初、四国沖から紀伊半島、近畿辺りに上陸するかと思われた10号は西に方向を変え奄美を経て南九州に上陸し長崎から東に方向を変えて九州を横断した。
台風の進路もなかなか予測がつかない時代に入ったように素人ながら考える。
予測がつかないと言うことは、今回の10号のように長期間同じような場所に居座る事にもなる。ひいては豪雨の被害も大きくなり、弛んだ地盤は土砂崩れなどの被害を誘発する。 “現代時評《災害ニッポン、どーする?》片山通夫” の続きを読む
Lapiz2024秋号Vol.51《巻頭言》井上脩身編集長

【LapizOnline】購入した本をつんどくにしたまま、読んでないことすら忘れてしまうことは二度や三度ではなく、何かの拍子に見つけてハッと恥じ入ることがあります。『知覧からの手紙』はそんな本の一つでした。水口文乃さんというフリー記者が著したもので、2007年、新潮社から刊行されています。2008年頃、大阪の書店で「知覧」の文字が目に触れ、買い求めた記憶があります。当時、私は新聞社の外郭団体に勤務していて、忙しくしていました。16年間も放置していたのです。「ごめんなさい」と言いながら、本を開きました。 “Lapiz2024秋号Vol.51《巻頭言》井上脩身編集長” の続きを読む
《Lapizとは?》Lapiz編集長 井上脩身

Lapiz(ラピス)はスペイン語で鉛筆の意味
地球上には、一本の鉛筆すら手にすることができない子どもが大勢いる。
貧困、紛争や戦乱、迫害などによって学ぶ機会を奪われた子どもたち。
鉛筆を持てば、宝物のように大事にし、字を覚え、絵をかくだろう。
世界中の子どたちに笑顔を。
Lapizにはそんな思いが込められている。
Webサハリン物語《episode#13 日本人はお墓まで帰国した》片山通夫

【609studio】コルサコフ(大泊)は港町である。ここから、いやここへ稚内からの連絡船が着く。稚泊連絡船である。コルサコフは港を見下ろせる丘の町であった。この町にも残留朝鮮人は大勢暮らしている。2・3人に聞いてみた。彼らが口々に言うのは決まっていた。
現代時評《岸田・時代錯誤首相の脱落》井上脩身
【609studio】岸田文雄首相は14日、自民党の総裁選に立候補しないことを表明した。私は3年前の自民党総裁選で、岸田氏が「令和版所得倍増計画」を公約に掲げて当選したときから「時代錯誤首相」だと考えていた。はたして「なにをやりたいのかわからない」「やりたいことのない政治家」などと、政治評論家らから酷評されることとなった。現在の日本がどういう状態なのかを適格に分析できない首相であれば、やることなすことすべてがちぐはぐになり、揚げ句の果て、首相の座を投げ出すのは当然であろう。 “現代時評《岸田・時代錯誤首相の脱落》井上脩身” の続きを読む
Webサハリン物語《episode#12 アリランの歌 02》片山通夫
【609studio】ここであらためて地図を広げてみたい。サハリンと北海道の稚内とは宗谷海峡を挟んで50キロにも満たない。ただユジノサハリンスクと稚内との距離は190キロほどある。戦前連絡船で8時間ほどかかったという。冷戦時代にその距離を飛んでいたのは渡り鳥かラジオ放送の電波だった。NHK稚内中波中継局から発せられるラジオ放送は宗谷地方はもとよりユジノサハリンスクまで届いていた。筆者もユジノサハリンスクで聞いたことがあるが、鮮明に聞くことができる。 “Webサハリン物語《episode#12 アリランの歌 02》片山通夫 ” の続きを読む
Webサハリン物語《episode#11 アリランの歌 01》片山通夫
【609studio】朝鮮民謡に「アリラン」と言う歌がある。朝鮮半島全域で歌われている。
「アリラン アリラン アラリヨ・・・」と日本でもよく知られているあの歌である。聞けば「アリラン峠」とはどこにあるのかはわからないと言う。きっとどこの地方ででもマッチするように特定の場所では無いという意味なのかもしれない。 “Webサハリン物語《episode#11 アリランの歌 01》片山通夫 ” の続きを読む
連載コラム・日本の島できごと事典 その144《クナシリ・メナシの戦い》渡辺幸重

【LapizOnline】北方四島の一つ、国後島(くなしりとう)と根室海峡を挟んで相対する北海道・知床半島の東南側の目梨(めなし)地方で1789(寛政元)年、アイヌ民族が松前藩に対して蜂起する事件「クナシリ・メナシ(国後・目梨)の戦い」が起きました。事件当時は「寛政蝦夷蜂起」「寛政蝦夷の乱」「国後騒動」「寛政元年蝦夷騒擾」などと称され,近代以降は「寛政元年の蝦夷騒乱」「寛政の乱」「クナシリ・メナシの乱」「クナシリ・メナシ地方アイヌの蜂起」などとも呼ばれます。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その144《クナシリ・メナシの戦い》渡辺幸重” の続きを読む
Webサハリン物語《episode#8 ソ連の軍政時代と新聞》片山通夫

【609studio】樺太全土を手中にしたソ連軍は当然のことながら「軍政」を敷いた。と言っても樺太ではまだ30万人ほどの日本人と一説には6万人ほどの朝鮮人が住んでいる。彼らにソ連の何たるかや軍政で世の中が日本時代とどのように変わるかを知らしめなければならない。 “Webサハリン物語《episode#8 ソ連の軍政時代と新聞》片山通夫” の続きを読む
Webサハリン物語《episode #5 韓国併合》片山通夫

【609studio】話は前後するが、1904年、日本とロシアとの間で 日露戦争が始まった。戦いを有利に進めた日本は、講和条約であるポーツマス条約において、ロシアから 朝鮮半島における優越権を獲得した。朝鮮は1897年に清から独立しており、国名は 大韓帝国 (韓国)に変わっていた。 “Webサハリン物語《episode #5 韓国併合》片山通夫” の続きを読む
Webサハリン物語《episode #4 稚泊連絡船》片山通夫

【609studio】戦前、稚内港と大泊港に「稚泊(ちはく)連絡船」が通っていた。ちなみにこの航路は210.0 km (130.5 mi)で8時間の航海だったという。この航路で樺太に渡った有名人に「銀河鉄道の夜」の構想を樺太で練ったと言われている宮澤賢治や、樺太から雪の北緯50度線を越えてソ連に亡命した岡田嘉子がいた。恋の逃避行説で有名な事件だった。
稚内港の北防波堤は吹き付ける吹雪を避けるための立派なドーム型の桟橋が残されている。このドーム防波堤に現在はないが稚内桟橋駅があった。樺太へ渡る人々はこの駅まで宗谷本線に乗ってきた。また大泊の桟橋は現在も使われている。 “Webサハリン物語《episode #4 稚泊連絡船》片山通夫” の続きを読む