散歩道《古老柿のふるさと 01》片山通夫

京都に宇治田原という町がある。山間部に位置した山里である。メインの交通は京阪電車宇治駅に向かうバスしかないという、いささか不便な町である。その町のホームページには「サルの位置情報」という項目がある。きっと野猿が出没するらしい。誰かがサルに友達でもいて、位置情報を流してもらっているのかもしれない。実はGPSをつけた猿がいるらしい。猿は群れで移動するから群れで把握するという。まあ、昨今のクマ出没注意よりはましかもしれないと思っていたら、近隣の市町村にはツキノワグマも出没するらしい。 “散歩道《古老柿のふるさと 01》片山通夫” の続きを読む

609studio email newsletter 2025年11月25日号 #1234

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609studio email newsletter 2025年11月25日号 #1234
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世界のニュース、元毎日新聞・井上脩身氏の現代時評、同・渡辺幸重氏の日本の島出来事
辞典など多彩な話題満載!なお諸般の事情によりサハリンの話題は都合により当面休止い
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◆現代時評[写真よもやま話]片山通夫
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写真はゲージツだとは言わない。昔写真仲間でよく出た話がある。当時リアリズムの土門拳氏やライカ使いの名手であった木村伊兵衛氏の全盛でカメラ雑誌には必ずと言っていいほどお二人の写真がグラビアページを飾っていた。我々が下世話で話していたことは「彼ら巨匠の使っているカメラやフィルムなど全く同じ機材で同じようにとれば同じ写真がとれるはずだ」という命題に関して、口角泡を飛ばして「論じた」ものだった。結論は覚えていない。しかし今になって考えるに、その例えば土門氏の「筑豊の子供たち」や木村伊兵衛氏の「街角」ようなテーマで撮り続ける姿勢は我々には、いや少なくともボクにはなかった。例えば筑豊炭鉱の炭住に入り込んで撮る、もしくは下町の街角を日ごとさまよい歩いて撮影するという姿勢は持ちあわせていなかった。いわばもっとせっかちだったのだ。

ただ当時はまだモノクロームの世界だったので、フィルムはコダック社のTRI-Xがいいとか、富士フィルムのネオパンSSSは粒子が荒くってとか聞いた風なことばかりに気を使っていた覚えがある。そんな時代があって、ボクは報道写真の世界にのめりこんだ。それには大きな理由があった。親のすねをかじっていた時代のこと。ボクは夏に中国へ旅する機会を得た。詳しくは長くなるので書かないが当然グループ旅行だった。当時はまだ中国とは国交は結ばれていなかったので、香港経由で列車で入国した。簡単に言うと上海で「文化大革命」に遭遇、泊まっていたホテルの名前が朝には平和飯店から革命飯店に変わっていた。紙に墨で書かれた新しい革命飯店。つまりそれまでの常識が覆されて価値観の根底から崩れたのだ。そこでとった写真は香港に帰ってくると「飛ぶように」売れた。つまりその時からボクは「誰も撮ったことのない写真」は売れると知った。まるで「トレジャーハンター」のようにネタ探しに夢中になっていた時期があった。しかしそんなにうまい話が転がっているわけではないのでボクは地道に働きだした。それが1969年のキューバ行きであり、通信社で働く機会も得て「まじめな」写真を撮るようになった。

カメラはなぜかNIKONを使うのが多かった。最初はレンジファインダーだったが。
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◆ TOPIX
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《熊出没注意》

関西各地でも熊目撃情報多発!
https://www.sankei.com/article/20251030-M5V6YHWAUBN6HATXN4MPPKMCU4/

*秋田熊被害・「熊出没のため営業しておりません」秋田の商業施設で熊1頭居座り駆除hhttps://www.youtube.com/watch?v=MnPFConjlPY

*人を怖がらないクマ 異変はなぜ起きたのか…専門家に聞きました。
https://www.yomiuri.co.jp/bosai-nippon/article/17475

《自然災害》

地震情報 https://www.data.jma.go.jp/multi/quake/index.html?lang=jp
地震本部 https://www.jishin.go.jp/

《JAPAN & WORLD》

*中国の国営メディアが警告「高市首相の改心なければ、日本は破滅へ」
日本の高市早苗首相が国会答弁で「台湾有事が日本の『存立危機事態』に当たり得る」と
述べたことを受け、比較的安定していた日中関係が一気に緊張した。日本政府が台湾海峡
危機に際し「集団的自衛権」を行使する、すなわち「武力を用いた台湾海峡への介入」を
示唆したことが、中国側の「レッドライン」を踏んだ格好だ。中国外交部、国防部、官製
メディアが相次いで反撃の姿勢を強め、中央テレビ(CCTV)の『海峡時評』と中国共産党
機関紙『人民日報』は最新の論評で、「高市早苗氏が改心しない限り、日本を破滅の淵に
追いやる」と強い口調で警告した。
https://japan.storm.mg/articles/1081848

*岡田克也氏「まずい、と思ってすぐに話題を変えた」 高市早苗首相から「台湾発言」
が飛び出した瞬間   https://www.tokyo-np.co.jp/article/450561

*イスラエル軍がガザ各地を攻撃、25人死亡と現地保健当局
https://www.bbc.com/japanese/articles/clyzy8jnnvgo

*ロシアのスパイ船が英軍機にレーザー照射、英国防相は「軍事的選択肢」も準備と
https://www.bbc.com/japanese/articles/ckgkglllj5jo

*トランプ政権の新たな和平案、ウクライナに領土割譲と軍備縮小求める可能性 情報筋
https://www.cnn.co.jp/usa/35240735.html

*トランプ氏、愛国歌の斉唱でゆらゆら…「歌詞知らないの?」「勘違いしてる」
https://x.gd/niOYT2

*韓国、2040年までに石炭火力40基廃止へ 脱石炭連盟に加盟表明
https://mainichi.jp/articles/20251118/k00/00m/030/008000c
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◇編集長から:片山通夫
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「高市リスク」でよくわからない部分がある。ご本人もだんまりを決め込んですでに10日
間が過ぎた。外務省の交換を北京に派遣したまではいいが、お互い言い合っておしまい。

そもそも国会で岡田氏の質問に対する答弁で出てきた話なのだ。その場で打ち消すなり訂
正するとそれでおしまいになったのにと思う。東京新聞がこの辺りを記事にした。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/450561

ところで台湾は高市氏に感謝しているかといえばどうもそうでもない雰囲気だ。ただ中国
が日本産の輸入を止める危険から日本産の農産物や水産物の輸入増で応援しているという
ニュースが。 https://japan.focustaiwan.tw/politics

それにつけても、意固地で情けない高市氏だ。今更引けないなんてどんなプライドやねん? トイレのないマンション=原発 ブレーキのない政府=高市内閣
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発行日  2025年11月125日号 #1224
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散歩道《哲学の道にて 01》片山通夫

 

京都市左京区にある、琵琶湖疏水の西側沿いに銀閣寺から若王子神社(一説には南禅寺)まで続く約1.5~2kmの散歩道。
京都帝国大学で哲学を研究した西田幾多郎氏が、毎朝この道を思索しながら歩いたことにちなんで名付けられた。

ボクもカメラを手に何度かこの小道を歩いてみたが、「哲学」はまったく出来なかった。そもそも「哲学をする」ということの意味がまったくわからない。ふと思った。はたして「哲学はするものか」と。
西田幾太郎氏はこの小道で何を思索していたのか。「哲学をする」ということは何かを思索することならば、ボクにはとても難しい。ボクの撮影姿勢は哲学をする以前に感覚でシャッターを押すことなのだから。

連載コラム・日本の島できごと事典 その181 《風流踊》渡辺幸重

白石島(岡山県)の白石踊(「全国民俗芸能「風流」保存・振興連合会」サイトより)

2022(令和4)年11月、全国41件の民俗芸能が「風流踊(ふりゅうおどり)」としてユネスコの無形文化遺産に登録されました。それまでは神奈川県三浦市三崎に伝えられている豊漁・豊作や商売繁盛などを祈願する踊り「チャッキラコ」だけが2009(平成21)年 9月にユネスコ無形文化遺産に登録されていましたが、チャッキラコを含む41件に拡張されたのです。風流踊は「風流」という名称の通り華やかな衣装や持ち物の人が歌や笛・太鼓・鉦などの囃子に合わせて踊る民俗芸能で、除災や供養、豊作祈願、雨乞いなどの願いを込めて催されます。風流踊の41件はそれぞれ国の重要無形民俗文化財に指定されています。
 登録されたなかには島嶼部の風流踊として、新島(東京都)の大踊、淡路島(兵庫県)の風流大踊小踊、白石島(岡山県)の白石踊、平戸島(長崎県)のジャンガラ、対馬(同)の盆踊が含まれています。
 新島の大踊は新島の本村と若郷に伝わる盆踊りで、室町時代末期から江戸時代初期にかけて全国的に流行した風流踊の流れをくむものといわれています。淡路島の阿万(あま)の風流大踊小踊は毎年9月の亀岡八幡宮の秋祭りに奉納され、大踊は室町時代後期(1550年頃)、小踊は江戸時代中期(1700年頃)に起源があるとされます。平戸のジャンガラは平戸市内の9地区で古くから伝承されており、お盆の頃に奉納されます。対馬の盆踊は起源は15世紀まで遡るとされ、藩士たちが踊る御卵塔風流(おらんとうふりゅう)と特権商人たちによる六十人踊の2つが各地域で融合しながら江戸時代から明治初期にかけて多様な演目が成立したといわれています。以下、笠岡諸島・白石島の白石踊について紹介します。
 白石踊の起源ははっきりしませんが瀬戸内海で行われた源平水島合戦の戦死者の霊を弔うために始まったという伝承があります。特徴は、一つの音頭(口説き)に合わせて異なる衣装に身をまとった数種類の踊集団がそれぞれ異なる振り付けの踊を舞うことで、輪の中に混じり合った数種類の衣装や所作が優雅な調和を奏でています。
 踊りの種類は現在では男踊・女踊・娘踊(月見踊)・笠踊・奴踊・ブラブラ踊・大師踊・阿亀(おかめ)踊など13種類の踊りが伝わっています。音頭も「那須与一」「石童丸」「丹波与作」「賽の河原」など20余りありますが最盛期には60以上もの唄があったといわれています。
 衣装・ファッションは1955(昭和30)年に元禄時代を想定して白石島の観光協会によって決められました。それまでは思い思いにあり合わせのものを着て踊ったということです。
 踊りの時期は約30年ほど前から旧暦のお盆から新暦の8月14日~16日の3日間に変わりました。旧暦のころは長期間にわたって踊りが続き、時間も現在の夕方から午後11時頃という時間帯ではなく最近まで“徹夜踊り”の伝統があったそうです。
 盆踊りはやぐらや大傘を中心に輪になって踊りますが、家の庭で供養のための踊りを踊る訪問型の「回向(えこう)踊り」も行われます。
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gallery散歩道《酬恩庵 1》片山通夫

一休さんが住んでおられた寺がある。正式には酬恩庵だ。一休さんはあの一休さんで、とても知恵の回る方だったという。このお寺は一休禅師を中興の祖とする臨済宗大徳寺派の禅寺であり、一休禅師はこの寺院から大徳寺へ通われたという。

gallery散歩道《京都三条界隈 1》片山通夫

京都三条通り

794 年、桓武天皇により遷都された平安京の都市づくりは、中国の都市計画に学ぶ規則正しい街がつくられました。当時政治都市であった平安京は、位に応じ居住・商いの可能な場所が厳格に定められ、七条大路に接して東西対象に設けられた「東市」「西市」においてのみ商業活動が許されていました。 “gallery散歩道《京都三条界隈 1》片山通夫” の続きを読む

現代時評plus《クマ出没注意!》片山通夫

筆者はほぼ近畿3府県の真ん中に住んでいる。筆者が子供の頃(半世紀以上昔の話)にはまさに「ウサギ追いしかの山 小鮒釣りしかの川」の世界だった。無論かの山は名のある名山ではなくいわゆる里山であり、川は農業用水用の溜池から流れ出る川だった。冬になると村人総出で里山に柴を刈る。その柴は風呂にかまどに使う重要な燃料だった。無論薪も。 “現代時評plus《クマ出没注意!》片山通夫” の続きを読む

609 Studio email newsletter 2025年10月21日号 #1229

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◆現代時評《臍を噛む人、噛まれる人・・・》山梨良平 “609 Studio email newsletter 2025年10月21日号 #1229” の続きを読む

「里山研究庵だより」第3回

台風が行き過ぎるたび、季節が前へと進んでいくようです。 ここ鈴鹿山中のふもとでは、ソバの白い花が一面に広がる脇に、赤い彼岸花が彩りを添えています。第1回でお知らせした新連載企画「予め長編連載の全体像を把握するために」の

Ⅱ.≪「菜園家族」未来社会構想と日本国憲法との内的連関≫
を当方里山研究庵Nomadホームページに掲載しました。 “「里山研究庵だより」第3回” の続きを読む