
曽我稲目から馬子、蝦夷そして入鹿と4代にわたって権勢をほしいままにした曽我氏一族はおよそ100年ヤマト朝廷で君臨したことは前回書いた。 GO
片山通夫公式サイト photo:祇王寺にて・嵯峨野
曽我稲目から馬子、蝦夷そして入鹿と4代にわたって権勢をほしいままにした曽我氏一族はおよそ100年ヤマト朝廷で君臨したことは前回書いた。 GO
大津京
白村江の戦いの惨敗から中大兄皇子は飛鳥にいることを潔しとせず、強引とも思える理由、つまり白村江の戦いの惨敗で唐・新羅連合軍が攻めてくると遷都を実行した。667年のことである。“《渡来人たちの宴・外伝 その12》片山通夫” の続きを読む
遷都
都を飛鳥から摂津の難波長柄豊碕宮へ遷都したのは大化2年12月のことだった。この時代、遷都するのには相当の訳があった。
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《渡来人たちの宴・外伝 その8》片山通夫