【609studio】京都の八坂神社から少し下がったところにこじんまりとした通りがある。周りはいかにもと思える料理屋さんが数軒並んでいておりしも降っていた小雨もやんで灯がともった。まるでおあつらえ向き。
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光と影が綾なすとき《BAY函館》写真・片山通夫
【609studio】サハリンへは、最初の頃は函館空港からサハリン航空が飛んでいた。その後は千歳空港からに変わった。函館に行くのは大変だったが、千歳へは簡単に行くことができた。この写真はいささか古いので恐縮だが函館の倉庫街で撮ったもの。

ヘッダー画像、変更しました。
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写真は丹波篠山市の郡部で撮ったものです。急に寒くなってきたので少し暖かい雰囲気を・・・。
光と影が綾なすとき《駅のベンチ》写真・片山通夫
【609studio】雨だったので(言い訳)豊岡まで行ったが、なかなか・・・。
それで駅のベンチを電車の車内から。(山陰線) 不定期連載

Webサハリン物語《episode#14 密航》文・写真 片山通夫

【609studio】この前まで通常の航海だった。しかし日本が戦争に負けてから、環境は一変した。サハリンの西海岸・日本海に面した町に「阿幸」と言う小さな漁村がある。旧鉄道省の記録によると「阿幸」は「おこう」と読み、樺太西線という鉄道が日本海に沿って、上りは本斗駅行き5本が運行されていて、下りは野田駅行きと久春内駅行き各2本と北真岡駅行き1本が運行されていた。 “Webサハリン物語《episode#14 密航》文・写真 片山通夫” の続きを読む
現代時評《プーチンの夢は帝政ロシア?》片山通夫

もう何年も前のことになる。筆者はヨーロッパへ向かうアエロフロート航空に羽田から乗った。アエロフロートはソ連の国策会社だった。当時はガチガチのソ連で、空港の係官も「笑顔を見せたら罰せられる」ような雰囲気だった。むろんアエロフロートの乗組員も笑顔は全く見せないし、早口のロシア語でアナウンスするだけだった。はっきり言って恐ろしかった。
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明日から10月。

秋とはいえまだまだ暑い日が続きそうです。また南の方の海では熱帯低気圧が発達して台風になる公算も多いようです。能登半島は元旦の地震から先月の豪雨で大きな被害を受けました。お見舞い申し上げます。
さてLapizOnlineもおかげさまですべての記事を掲載出来ました。お礼申し上げるとともに、今後のご支援をお願いいたします。 “明日から10月。” の続きを読む
ノスタルジア《昭和の時代 05》片山通夫
ノスタルジア《昭和の時代 04》片山通夫
ノスタルジア《昭和の時代 03》片山通夫
ノスタルジア《昭和の時代 02》片山通夫
昔見た風景《浅沼委員長暗殺》片山通夫

【LapizOnline】1960年10月12日、日本社会党の委員長だった浅沼稲次郎氏が、演説中に右翼の少年に左胸を刺されて死亡した。国民に衝撃が走り、抗議のデモは日本全国に広がった。ただこの風景は「日常」とはいいがたいかもしれない。
昔見た風景《学生デモ》片山通夫

昔見た風景《食い倒れ人形最後の日》片山通夫

【LapizOnline】写真は永年大阪の人に愛されてきた道頓堀の「食い倒れ人形」最後の日。大勢のファンが集まって別れを惜しんだ。 “昔見た風景《食い倒れ人形最後の日》片山通夫” の続きを読む
Webサハリン物語《episode#13 日本人はお墓まで帰国した》片山通夫

【609studio】コルサコフ(大泊)は港町である。ここから、いやここへ稚内からの連絡船が着く。稚泊連絡船である。コルサコフは港を見下ろせる丘の町であった。この町にも残留朝鮮人は大勢暮らしている。2・3人に聞いてみた。彼らが口々に言うのは決まっていた。