fiction《アマテラスの誤算001》片山通夫

 

三瓶山のこと

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【609studio】この夏は甲子園で日本全国のファンを沸かした。特に京都国際高校が優勝したこと、今一つは島根県立大社高校が、ひたむきないい試合を見せてくれたこと。新聞報道によると大社の町は湧きに沸いたと言う。高校野球の話はさておき本題に入る。
貧乏性のボクはやはりカメラをポケットにウロウロしている。サハリンへは「ロシアがウクライナに侵攻」してから行けなくなった。その代わりに昔から気になっていた丹波の国に通っている。具体的に言うと出雲(島根県)、福知山(京都府)、丹波篠山(兵庫県)の辺りだ。 “fiction《アマテラスの誤算001》片山通夫” の続きを読む

韓国大変!!#004

韓国メディアから抜粋(順不同・2025/1/6 16:00)

*韓国警察 首相を再度聴取へ=非常戒厳宣言時の閣議出席 (17:40追加)
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20250106003800882?section=politics/index

*尹大統領側「弾劾弁論期日には大統領が直接出席する」
https://www.donga.com/jp/article/all/20250106/5383660/1

*「内乱罪修正」に与党が「詐欺弾劾」と反発、野党は「無知な攻勢」
https://www.donga.com/jp/article/all/20250106/5383657/1 “韓国大変!!#004” の続きを読む

韓国大変!!#003   2025/1/6 9:30

韓国大変!!#003   2025/1/6 9:30

◎韓国メディアから抜粋
今日がユン大統領に対する逮捕状の有効期限。はたして・・・。(順不同)

*捜査当局、「警護処長の強制拘引」後に尹大統領の逮捕状を再執行か
https://japan.hani.co.kr/arti/politics/52066.html

*また明らかになった尹錫悦のうそ…帰還中のヘリも引き返させ、国会封鎖に総
力 https://japan.hani.co.kr/arti/politics/52079.html

*韓国捜査当局、6日に大統領逮捕再試行か…圧倒的な規模の警察動員がカギ
https://japan.hani.co.kr/arti/politics/52072.html

*韓国捜査機関 尹氏の拘束令状執行を警察に一任
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20250106000300882?section=politics/index

*令状執行の異議申し立て「棄却」 尹大統領側が再抗告へ
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20250105001800882

*戒厳令当日「銃を撃って」「2回、3回宣布すればいい」 起訴状に記された尹
大統領発言、事実であれば衝撃的で深刻【12月28日付社説】
https://x.gd/idBKZ

*尹大統領逮捕、きょうデッドライン…公捜処は警察と葛藤、再執行苦慮
https://japanese.joins.com/JArticle/328211

*韓国最大野党「令状執行の際に発砲命令」 警護処は否定
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20250105000900882?section=politics/index

韓国大変!!   2025/1/4 13:00

韓国大変!!   2025/1/4 13:00 現在

*韓国国会「尹大統領の弾劾事由から内乱罪を外します」→尹大統領側「内乱罪
が成立しないのなら弾劾訴追そのものが誤り」  https://x.gd/cF9av

*韓国捜査機関 大統領代行に尹氏拘束巡り警護処への命令を要請へ
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20250103005700882?section=politics/index

*捜査当局、「警護処長の強制拘引」後に尹大統領の逮捕状を再執行か
捜査当局、「警護処長の強制拘引」後に尹大統領の逮捕状を再執行か
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LapizOpinion《Webメディアの台頭》一之瀬明

【LapizOnline】アメリカの話。 元メディア幹部のフィドラー氏は1980年代に「人々は紙に印刷された新聞を必要としないだろう」と唱えた。「新聞は持ち運びの出来る機器によって配信される。そして人々はそれを「読む」というわけだ。印刷された新聞を買うという行為は、端末に配信されるニュースを読むのと同等だ。勢い印刷工場でインクを使って、いや紙そのものを輪転機にかけ、トラックで運び、町の新聞スタンドで販売すると言うスタイルはすでに遅れている形態だと言わんばかり。 “LapizOpinion《Webメディアの台頭》一之瀬明” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その159《非軍備の島》渡辺幸重

前島(「ハイホーの沖縄散歩=本島以外=」サイトより)

戦争をしてはいけない」と誰もが言います。しかし、その方法となると「軍備を増強して戦争を抑止する」から「非武装で外交によって平和を守る」までさまざまです。第二次世界大戦中の沖縄戦では各地で激しい戦闘が続き、人の命を奪うだけでなく生活基盤や社会インフラ、自然などすべてが破壊し尽くされました。その中で軍事施設がなく日本軍がいなかった島では破滅的な破壊を免れた例が見られます。いま、琉球弧(南西諸島)の島々に自衛隊のミサイル基地を含む軍事施設が配備され、日米の一体的な軍事体制が強化されつつありますが、沖縄戦での非軍備の島の体験は最近の軍備増強化は島の平和維持に逆行していることを教えているように思います。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その159《非軍備の島》渡辺幸重” の続きを読む

LapizPhotos《路地のある町001》片山通夫

【LapizOnline】JR大阪駅にほど近い所に異次元に迷い込んだような町がある。
きっと「地上げ屋」と戦った時期があり、そしてその戦いに勝った人々が棲んでいるのだろうと勝手に思っている。そしてその人たちを尊敬している。

連載コラム・日本の島できごと事典 その156《最古の灯台》渡辺幸重

現役最古の石造灯台である紀伊大島の樫野崎灯台(串本町公式サイトより)

以前「国内最古の灯台」はどこか調べたことがありますが、かなり難航しました。いくつも出てくるのです。「洋式かどうか」「レンガ造りか石造りかコンクリート造りか木造か鉄造りか」「完成時期か初点灯時期か」「現存するか」「現役か」「官設か」などによって異なるようなので、条件を定める必要性を感じました。そこでもう一度、国内最古の灯台についてまとめてみました。


日本の洋式灯台はすべて明治期以降に建設されましたが、江戸幕府が1866(慶応2)年にアメリカ・イギリス・オランダ・フランスの4ヵ国と締結した改税約書(江戸条約)で全国に八つの灯台を建設する約束をしたことがきっかけです。その灯台とは、観音埼(かんのんさき:神奈川県)、野島埼(千葉県)、樫野埼(かしのさき:和歌山県紀伊大島)、神子元島(みこもとじま:静岡県)、剱埼(つるぎさき:神奈川県)、伊王島(いおうじま:長崎県)、佐多岬(さたみさき:神奈川県)、潮岬(しおのみさき:和歌山県)です。さらに翌年に幕府がイギリス公使と結んだ大坂約定(大坂条約)で建設することになった江埼(えさき:兵庫県)、六連島(むつれじま:山口県)、部埼(へさき:福岡県)、友ヶ島(和歌山県)、和田岬(兵庫県)の5灯台と合わせて「条約灯台」と呼ばれています。
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連載コラム・日本の島できごと事典 その155《南洋踊り》渡辺幸重

南洋踊り(東京都公式サイトより)

 沖縄やハワイなど南の島の音楽は心が晴れ渡るような明るい歌や踊りが特徴的です。明るい太陽、広がる青空と海、さわやかな風、緑の木々に鮮やか色の花々-歌や踊りの中にも豊かな自然と穏やかな生活を感じます。
沖縄と同じ緯度帯にある小笠原諸島(東京都)も同じです。小笠原古謡に「南洋踊り」「丸木舟」「レモン林」などがありますが、特に南洋踊りは返還祭などの島の祭りやサマーフェスティバル、連合運動会、敬老大会、観光客の歓迎イベント、日本一早い海開き(1月1日)などで披露され、腰みのや首飾り、髪飾りを身につけたいかにも南島らしい素朴な踊りで親しまれています。2000(平成12)年には小笠原における南方文化伝播の実態を知ることができる貴重な踊りとして「小笠原の南洋踊り」が東京都の無形民俗文化財に指定されました。
 南洋踊りは、日本が第二次世界大戦前の1914(大正3)年から1945(昭和20)年の敗戦まで委任統治領だったサイパン・トラック・パラオなどの南洋群島(旧ドイツ領ミクロネシア)へ仕事に行っていた父島聖ジョージ教会初代牧師の長男、ジョサイア・ゴンザレスが現地の島々の歌と踊りを覚え帰ってきてから小笠原諸島に広めたといわれています。時期は大正末期から昭和の初め頃で、南洋踊りを構成する5つの歌の一つ「夜明け前」の原曲はサイパンにあることなどから「南洋踊りはサイパンから小笠原に伝わった」と説明する資料もあります。1968(同43)年の日本復帰頃までは一般に「土人踊り」と呼ばれました。
 第二次世界大戦中、小笠原諸島の住民が強制疎開によって本土に移動させられたことから南洋踊りは一時途絶えたかにみえましたが島を離れた住民の間で伝えられており、日本復帰後に小笠原で復興されました。1981(同56)年には「南洋踊り保存会」が設立されています。
南洋踊りは「レフト、ライト」という言葉に合わせる行進のポーズで始まり、5つの曲を同じポーズでつないでいきます。曲は「ウラメ」「夜明け前」「ウワドロ」「ギダイ」「締め踊りの唄(アフタイラン)」で、歌詞は「夜明け前」と「締め踊りの唄(アフタイラン)」の前半は日本語ですが、他は南洋群島の言葉だということです。たとえば「ウワドロ」は「ウワドロフィ イヒヒ イヒヒ」で始まりますが意味はわかりません。タマナ(テリハボク)をくりぬいて作った打楽器「KAKA(カカ)」をギンネムの木で叩いてリズムを刻み、それに合わせてこの歌を歌い、踊ります。

 ミクロネシアの「行進踊り」、ヤップ島の「マース」「テンプラオドリ」との関係が深いといわれる南洋踊りですが、YouTubeで動画を鑑賞して南島の空気を感じてください。

南洋踊りの動画の例
https://www.youtube.com/watch?v=z6lHS4lKXYM(「BoninGIAN」チャンネル)
https://www.youtube.com/watch?v=Qk45D1YMoH4(「kathyの音あそび」チャンネル