現代時評plus《今、地方放送局が面白い》片山通夫

最近、以前でいう所のUHFのテレビ放送をよく見るようになった。なんてったって阪神タイガースの試合を「途中できらないで」最後まで放送してくれるからに尽きる。ここでいう地方の放送局とはサンテレビを指す。ご存じ出ない方もおられるのでちょっとまじめに説明しておきたい。詳細は下段に。 “現代時評plus《今、地方放送局が面白い》片山通夫” の続きを読む

現代時評plus《解党と言う選択技もある。》山梨良平

勿論自民党の話だ。少数与党に落ち込んだ公明党と自民党だが、石破勝利を退陣に党内で追い込み、総裁選で国民の顰蹙(ひんしゅく)を買ってまで続ける意味があるのか、はなはだ疑問に感じる。党首の腰の定まらない、極右の参政党やその他超右派の政党と組んで連立内閣を構成する予定なのか?極端な右翼政党と組めば公明党は離れるだろう。維新も一時の勢いがなくなっり、ここもしょっちゅう政治資金の問題で新聞紙上をにぎわしている。 “現代時評plus《解党と言う選択技もある。》山梨良平” の続きを読む

散歩道《六道の辻》片山通夫

華やかな平安時代の貴族社会

京都の話。なんだかおどろおどろしい話になる。彼岸の季節に丁度いいようだ。平安時代、京の都は寝殿造りに貴族が源氏物語に見るような生活をしていた。(写真左)一方庶民はと言えば、貴族とは異なり、非常に質素で自然の恵みに大きく依存していた。主食は白米ではなく、米をかさましした粥や粟などの雑穀で、衣食住は簡素で、住宅は貴族の屋敷とは異なり、地面を掘った竪穴式住居や、土間と簡単な床のある町家が一般的だったようだ。 “散歩道《六道の辻》片山通夫” の続きを読む

現代時評plus《石破首相側のブラフ?》追記 片山通夫

 

追記

阪神タイガースはセ・リーグ優勝したけれど、その夜に石破首相は退陣すると発表した。残念な事態である。
我が国の今後は次の首相に託さなくてはならないが、心配なことである。

まず3選挙に敗北をした。敗因はすべて石破首相にあった。そして石破おろしがあって今回の事態に陥った。ところがこれらの選挙の敗因の分析は行われたということはなかった。ただの石破おろしだったのだ。多くの国民はおそらく知っている。敗因は経済政策や対中政策もあったかもしれないが、選挙の敗因だけを言い募り、遂には首相を追い詰めた勢力があると知っている。いや、知ってしまった。(この稿25/9/08記) “現代時評plus《石破首相側のブラフ?》追記 片山通夫” の続きを読む

現代時評plus《自民党はどこへ行く 3》山梨良平

 最近の大方の見方では、石破続投と言う世論が後押しをしてどうも石破氏の続投が決まりそうだ。反石破の面々にとっては、「真夏の夜の(悪)夢」だったようだ。今後どのように動くかは予断を許さないだろうが、高市氏と言う眼はなさそうだ。彼女に「自民党を出て参政党と組めば」と言うような提言もあったようだが、「なぜ私が?」と反発したようだ。 “現代時評plus《自民党はどこへ行く 3》山梨良平” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その178《軍神とひめゆり》渡辺幸重

ガダルカナル島に上陸する米海兵隊(「ウィキペディア」より)

第二次世界大戦中、“軍神”とされ戦意高揚に利用された軍人の一人に八重山列島・与那国島(よなぐにじま:沖縄県)出身の大舛(おおます)松市がいます。松市は1943(昭和18)年1月13日、ソロモン諸島・ガダルカナル島で中隊長として部下14人とともに米軍敵陣に突入し、25歳で戦死しました。御前会議でガダルカナル島からの撤退(「転進」)が決定した前年12月31日と実際に撤退が完了した1943年2月初めの間の出来事でした。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その178《軍神とひめゆり》渡辺幸重” の続きを読む

現代時評plus《自民党はどこへ行く 2》山梨良平

自民党の内部で大きな嵐が吹いている。その嵐は地獄から脱する為の生みの苦しみの嵐か、それとも極右もしくは内部分裂への茨道なのか。安倍首相時代から現在に至るまでの間、菅と岸田の二人の首相を自民党は支えた。この二人は、安倍の専横を踏襲していた。 “現代時評plus《自民党はどこへ行く 2》山梨良平” の続きを読む

現代時評plus《自民党はどこへ行く 1》山梨良平

石破氏を引きずり降ろそうと言う動きが自民党の内部でかなり活発に起こっている。先月の参議院選後の結果と報道各社は伝えている。なんでも選挙敗退の責任を石破首相にとれということらしい。驚くことに既に後任の首相やそれに続く重要なポジションまでささやかれているという話だ。

週刊ポストはこう書いた。 “現代時評plus《自民党はどこへ行く 1》山梨良平” の続きを読む

散歩道《セミナリオと禁止令》片山通夫

 織田信長や豊臣秀吉代それに徳川家康などが活躍していた時代、フランシスコ・ザビエル(写真左)というカトリックの司祭がインドのゴアから日本に来てキリスト教(カトリック)の布教を目的として来たのは1549年だった。聖パウロ(初期キリスト教の使徒で、新約聖書の著者の一人)を超えるほどの多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれている。ところが徳川家康の時代になって、キリスト教は禁止されたことは有名である。 “散歩道《セミナリオと禁止令》片山通夫” の続きを読む

散歩道《奥の細道》片山通夫

奥の細道ルート

伊賀は三重県にある。松尾芭蕉の生誕地としても有名だ。また伊賀には今も忍者が棲む。「伊賀者」と言って、呪術や火術を得意とし、山岳兵法にも長けていた。伊賀忍者と甲賀忍者は生息しているところが隣接していたため、協力関係にあったらしいが、真実は煙幕の彼方にあり明確ではない。 “散歩道《奥の細道》片山通夫” の続きを読む

現代時評plus《トランプ関税》山梨良平

 2025年に入ってトランプ氏が大統領に就任して以来、所謂トランプ関税に世界は極度の混乱に陥っている。所で筆者は経済には滅法弱いことを最初にお断りしておく。けれども滅法弱い経済脳でもってしても、いやだからかもしれないが、トランプ大統領がよしとするアメリカの関税対策はどうにも腑に落ちないのだ。(写真は「フランスへ帰る!」自由の女神)

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散歩道《山城国分寺跡》片山通夫

話は前後する。風土記などを読んでいると、国分寺という名称がよく出てくる。辞書的に説明すると、国分寺とは741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院を指す。国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれる。正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」。なお、壱岐や対馬には「島分寺(とうぶんじ)」が建てられた。

仏教によって国の安全を護るための寺院を国分寺というが、世の常、時代の新旧を問わず、当初は国司の怠慢から国分寺の建立は進まなかったようだ。ゆえに747年(天平19年1月)に「国分寺造営督促の詔」を出し、造営体制を国司から郡司層に移行させ、完成させたら郡司の世襲を認めるなどの恩典を示した。これにより、ほとんどの国分寺で本格的造営が始まった。

律令体制が弛緩して官による財政支持がなくなると、国分寺・国分尼寺の多くは廃れた。ただし、中世以後も相当数の国分寺が、当初の国分寺とは異なる宗派あるいは性格を持った寺院として存置し続けたことが明らかになっており、国分尼寺の多くは復興されなかったが、後世に法華宗などに再興されるなどして現在まで維持している寺院もある。なおかつての国分寺跡地近くの寺や公共施設(発掘調査など)で、国分寺の遺品を保存している所がある。

ボクがこの国分寺に興味を持つのは、ボクにとっては「幻の京」であった恭仁京(くにきょう)の場所を偶然知ったからである。恭仁京は木津川に近い京都府木津川市加茂町にある。