【609studio】町にカメラを持ってよく出かけた。この習慣は今でも変わらないと思う。持ってるカメラだが当時は無論フィルムカメラで50ミリもしくは35ミリのレンズを愛用していた。これも今と変わらない。ただデジタルカメラになっただけだ。それとカメラがとても軽くなった。 “Once Upon a Time《街で》片山通夫” の続きを読む
連載コラム・日本の島できごと事典 その152《領海三キロメートル宣言》渡辺幸重

【LapizOnline】島の周辺には好漁場が多くあり、漁船が集まります。しかし、大型船が多い他所から漁に来る漁船に比べて地元の島の漁船は小型船が多いので漁獲高が極端に小さいという状況がしばしば起こります。私が生まれ育った島でも山腹に立つと大海原で操業する島外の大型漁船が見え、資源を奪われるような悔しい思いをしたことがあります。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その152《領海三キロメートル宣言》渡辺幸重” の続きを読む
光と影が綾なすとき《メリケン波止場の壁画》写真・片山通夫
【609studio】神戸港にメリケン波止場と言う波止場がある。なんでも当時、この近くにはアメリカの領事館があり、当時の人々は「アメリカ」を「メリケン」と聞き間違えたため、メリケン波止場と呼んだらしいと言うが、アクセントが「メ」にあったのでそう聞こえたということではないのかとボクは思っている。当時は聞こえたまんま発音したであろうから。

光と影が綾なすとき《差し込む光・妻籠宿》写真・片山通夫
【609studio】妻籠宿は馬籠宿と並んで中山道の有名な宿場町である。写真は脇本陣奥谷で、格子から太陽の光が差し込む光景を秋から早春と言った季節限定(9月から3月の晴れた日)だが見ることができ、今や妻籠宿の風物詩となっている。
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新聞スクラップ《「何度も立ち上がった」 被爆者、船旅で実相訴え》片山通夫
Once Upon a Time《宮川の朝市・飛騨高山》片山通夫
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【609studio】このシリーズ「昭和の時代」は大分県豊後高田市にある昭和の町を取り上げてきました。今後は拙著「ONCE UPON a TIME」からご紹介します。(不定期連載)
連載コラム・日本の島できごと事典 その151《大東隆起環礁》渡辺幸重

【LapizOnlin】ダーウィンは環礁(アトール)の形成過程を次のように考えました(「沈降説」)。海底火山の噴火によってできた火山島の周囲にサンゴ礁が形成されると裾礁(きょしょう)となり、それが沈降するとサンゴ礁だけが上に成長して島を環状に囲む堡礁(ほしょう)ができ、元の火山島が海面下に没して周りのサンゴ礁だけが残ると環礁になるのです。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その151《大東隆起環礁》渡辺幸重” の続きを読む
光と影が綾なすとき《石畳の道・京都》写真・片山通夫
【609studio】京都の八坂神社から少し下がったところにこじんまりとした通りがある。周りはいかにもと思える料理屋さんが数軒並んでいておりしも降っていた小雨もやんで灯がともった。まるでおあつらえ向き。
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光と影が綾なすとき《BAY函館》写真・片山通夫
【609studio】サハリンへは、最初の頃は函館空港からサハリン航空が飛んでいた。その後は千歳空港からに変わった。函館に行くのは大変だったが、千歳へは簡単に行くことができた。この写真はいささか古いので恐縮だが函館の倉庫街で撮ったもの。

光と影が綾なすとき《駅のベンチ》写真・片山通夫
【609studio】雨だったので(言い訳)豊岡まで行ったが、なかなか・・・。
それで駅のベンチを電車の車内から。(山陰線) 不定期連載

光と影が綾なすとき「羽」写真・片山通夫

はじめに
【609studio】今更ながら気が付いたことがある。写真機は無機質な物体、つまり単なる機械で道具である。言ってみれば、暗箱にレンズをくっつけただけのものである。つまりその暗箱の前にある風景もしくは出来事をレンズを通してフィルムなりCCDなりに写している道具であると言うことだ。当たり前だが、記録はモノクロームでも、カラーでも自在に出来る。・・・とここまで書いてふと思った。 “光と影が綾なすとき「羽」写真・片山通夫” の続きを読む
Webサハリン物語《episode#14 密航》文・写真 片山通夫

【609studio】この前まで通常の航海だった。しかし日本が戦争に負けてから、環境は一変した。サハリンの西海岸・日本海に面した町に「阿幸」と言う小さな漁村がある。旧鉄道省の記録によると「阿幸」は「おこう」と読み、樺太西線という鉄道が日本海に沿って、上りは本斗駅行き5本が運行されていて、下りは野田駅行きと久春内駅行き各2本と北真岡駅行き1本が運行されていた。 “Webサハリン物語《episode#14 密航》文・写真 片山通夫” の続きを読む
連載コラム・日本の島できごと事典 その149《裸の島》渡辺幸重

【LapizOnline】--モノクロ画面には単調なメロディーが物憂げに流れている。風景は乾いた小島の畑。その中を、重い水桶2つをしなった天秤棒に下げた夫婦が天まで耕された急斜面の畑を登る。そして野菜に水を与える。ただただその作業が繰り返される画面が続いた。
映画『裸の島』(1960年、新藤兼人監督)にはセリフが一切なく、夫婦がただ黙々と働く光景が延々と続きます。瀬戸内海の孤島で暮らす家族の生活を描いたこの作品は1961年モスクワ映画祭でグランプリを受賞、世界60か国以上で上映されました。そのロケ地は瀬戸内海に浮かぶ面積0.0142平方キロの宿祢島(すくねじま:広島県三原市)です。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その149《裸の島》渡辺幸重” の続きを読む
連載コラム・日本の島できごと事典 その148《佐渡金山》渡辺幸重

今年(2024年)の7月27日、「佐渡島(さど)の金山」として佐渡金山遺跡(新潟県佐渡市)がユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録されることが決まりました。日本では「琉球王国のグスク及び関連遺産群」や「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連」などに続く21件目の世界文化遺産になります。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その148《佐渡金山》渡辺幸重” の続きを読む
連載コラム・日本の島できごと事典 その147《収容所生活》渡辺幸重
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沖縄戦で米軍に占領された地域には捕虜や民間人の収容所があり、1945(昭和20)年の9月から10月頃には12か所の収容所で約30万人の民間人が米軍の管理の下に生活していたそうです。沖縄で米軍が最初に上陸した慶良間(けらま)列島では、米軍は座間味に司令部を設置するとともに座間味島や慶留間島(げるまじま)に収容地区を設けて住民を管理下に置きました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その147《収容所生活》渡辺幸重” の続きを読む
