連載コラム・日本の島できごと事典 その173《松島湾の貝塚》渡辺幸重

松島湾沿岸の貝塚の分布

宮城県松島湾に浮かぶ島々を含む松島湾沿岸には約70ヵ所の縄文時代早期から晩期の貝塚が分布しており、東京湾や霞ヶ浦沿岸とならんで「貝塚が特に密集する地域」として全国的に知られています。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その173《松島湾の貝塚》渡辺幸重” の続きを読む

紀行・岡山の旅《閑谷学校(しずたにがっこう)》片山通夫

閑谷学校
石塀(せきへい)– 重要文化財

岡山県の備前焼きの里に隣接した同じ備前市の山あいにその学校はあった。山深い谷に忽然と表れた建物は眼を見張る規模である。この閑谷学校と名付けられた学校は、江戸時代初期の寛文十年(1670年)岡山藩主池田光政公が日本初となる「庶民のための学校」閑谷学校を設立した。 “紀行・岡山の旅《閑谷学校(しずたにがっこう)》片山通夫” の続きを読む

紀行・岡山の旅《Japan Redの町,備中吹屋》片山通夫

旧吹屋小学校

岡山に吹屋という町がある。その吹屋は弁柄(べんがら)が有名だった。
幕末頃から明治時代にかけては、銅鉱とともに硫化鉄鉱石を酸化・還元させて人造的に製造したベンガラ(酸化第二鉄)における日本唯一の巨大産地として繁栄を極めたとある。 “紀行・岡山の旅《Japan Redの町,備中吹屋》片山通夫” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その172《引揚者》渡辺幸重

浦頭に引き揚げてきた人たち(佐世保市提供:西日本新聞より)

1931(昭和6)年の満州事変から日中戦争、第二次世界大戦までの15年戦争の中でいわゆる「外地」に進出していた人々は1945(同20)年8月の日本の敗戦後、命からがら「内地」に帰ってきました。外地に残された日本人約660万人は日本へ強制帰国(引き揚げ)されることに、大日本帝國軍の軍人・軍属は武装解除の上で民間社会に復帰させる(復員)ことになったのです。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その172《引揚者》渡辺幸重” の続きを読む

現代時評plus《アメリカン・ドリームの終焉》片山通夫

州兵のみならず海兵隊まで派遣するトランプ大統領。自由の衣をかなぐり捨て
て、イスラエルに肩入れのアメリカ。すこし前に、「自由の女神の返還を要求し
た」フランスの政治家がいたが、アメリカの報道官は「無名の政治家だ」とこの
返還要求を一蹴したようだ。(読売新聞・AFP)
 米大統領にしても、この報道官にしても本当にレベルの低い連中で、今のホワ
イトハウスは占められている。 “現代時評plus《アメリカン・ドリームの終焉》片山通夫” の続きを読む

現代時評plus《第三次大戦の様相を帯びる》一之瀬明

イスラエルがイランを攻撃した。そしてイランはイスラエルに報復と言う名の攻撃を加えてこの両国は戦争状態に陥った。かねてからイスラエルはイランを何度も攻撃を加えるチャンスを待っていたように思える。
6月10日のニューズウイーク日本語版は【イランがイスラエルの数千点に上る機密文書を公開へ…核戦略を含む「宝の山」の文書の内容とは】と報じた。 “現代時評plus《第三次大戦の様相を帯びる》一之瀬明” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その171《日本軍の住民虐殺》渡辺幸重

天皇の軍隊に虐殺された久米島住民・久米島在朝鮮人 痛恨之碑

自民党の西田昌司参議院議員が「(ひめゆりの塔の説明は)歴史の書き換え」などと発言したこと、参政党の神谷宗幣代表(参議院議員)が「日本軍は沖縄の人を殺したわけではない」と擁護したことが問題になっています。現職国会議員が戦前の大日本帝国の価値観を押しつけようとする姿には唖然としますが、沖縄戦において日本軍が沖縄の民間人を虐殺した事件は体験者によって多く語られ、史実として定着しています。その一つが「久米島(くめじま)守備隊住民虐殺事件(久米島事件)」です。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その171《日本軍の住民虐殺》渡辺幸重” の続きを読む

取材手帖・晴れの国《北前船が運んできた富・下津井》片山通夫

岡山・下津井湊

むかし下津井回船問屋・下津井

3月も半ばだが、まだ寒い時期に「備前の国・岡山」に行くことにした。だいぶ以前から下津井と言う港町に興味があった。本州と四国を結ぶ明石海峡大橋と瀬戸大橋、少なくともこの二つの橋は、明石と下津井の町を激変させたようだった。明石は何度もいった。東経135線が町を南北に貫き日本の標準時を定めた明石、また神戸と言う大消費地を控えた明石は瀬戸内海で獲れる海産物の町でもある。一方の下津井は横溝正史の小説に出てきたのでその名を知った。 “取材手帖・晴れの国《北前船が運んできた富・下津井》片山通夫” の続きを読む

紀行・岡山の旅《岡山禁酒會館》片山通夫

不思議な名前の不思議な建物が不思議な場所に建っている。
大正12年築の木造洋風建築物らしい。
これは筆者の偏見と言うかどうかはともかく、岡山は「大正ロマンの香り」が感じられる。横溝正史の推理小説の舞台が、戦後間もなくの岡山県が舞台だというのが多い影響もあり、またそれ以前の「大正ロマン」を満喫させてくれる画家で詩人の竹久夢二の生家もやはり岡山県(邑久町)だったりしてなんとなく親しみを覚える。 “紀行・岡山の旅《岡山禁酒會館》片山通夫” の続きを読む