散歩道《月読神社・京田辺市》片山通夫

京都の南に京田辺市という町がある。古来木津川の水運に支えられて栄えて来た。また大和を南に望む地域として継体天皇をはじめ様々な権力争いなどエピソードや伝説が伝えられてきた。
その町に月読神社という名のいわくありげな神社がある。月読はアマテラスの弟神で、イザナギとイザナミの間にできた夜をつかさどる神として有名だ。その神を祀る神社がここ京都の南部に鎮座している。そもそもこの神社のある場所は、今から1300年前、奈良朝時代に九州南部の大隅半島からここ大住の地に移り住んだ大隅隼人族が発生と言われ今も使われている「大住」の地名も彼らに由来する。また神社には隼人たちの舞が伝えられている。
京田辺市の観光案内HPから
月読尊(つきよみのみこと)、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)を祀る延喜式内社で、大社に位置づけられていた。中世にはたびたび兵乱、兵火を受けて、社殿の焼失と再興を繰り返した歴史があり、鎌倉時代初めに、源頼朝から神馬の献上があったとも伝えられ、明治維新の折には、鳥羽伏見の戦いを避けるため、石清水八幡宮が一時遷座され、ご神宝が薬師堂に安置された。現在の本殿は、東に面する一間社春日造、銅板葺(もとは桧皮葺:ひわだぶき)の建物である。明治26年(1893年)に名古屋の伊藤平左衛門により設計された。本殿を囲む瑞垣の正面に、鳥居を配置する珍しい構造が見られる。この春日造は奈良の春日大社本殿の形式で、この様式は、奈良を中心に京都府南部、大阪府、和歌山県北部などに広く分布する。本神社が位置する大住地域の多くは、平安時代末期から室町時代末ごろまで奈良興福寺の荘園であった。神宮寺として、宝生山福養寺が明治の初めごろまで存在し、奥ノ坊、新坊、中ノ坊、西ノ坊、北ノ坊、東ノ坊の六坊が備わっていたが、すべて廃寺となっている。往事の社域は、大住小学校の北側あたりに北ノ坊の旧跡が調査で確認されており、かなり広大な社であったことがうかがえる。 毎年10月14日の宵宮には大住隼人舞(市指定文化財)が奉納される。
gallery散歩道《古老柿のふるさと 02》片山通夫
散歩道《古老柿のふるさと 01》片山通夫
京都に宇治田原という町がある。山間部に位置した山里である。メインの交通は京阪電車宇治駅に向かうバスしかないという、いささか不便な町である。その町のホームページには「サルの位置情報」という項目がある。きっと野猿が出没するらしい。誰かがサルに友達でもいて、位置情報を流してもらっているのかもしれない。実はGPSをつけた猿がいるらしい。猿は群れで移動するから群れで把握するという。まあ、昨今のクマ出没注意よりはましかもしれないと思っていたら、近隣の市町村にはツキノワグマも出没するらしい。 “散歩道《古老柿のふるさと 01》片山通夫” の続きを読む
連載コラム・日本の島できごと事典 その182《謝国明》渡辺幸重

福岡市・姪浜港の北西約40kmに浮かぶ小呂島(おろのしま)は面積が0.45?、周囲が5.9㎞の小さい島です。テレビで“絶海の孤島”と紹介しているのを見ましたが、高速船で65分で九州島の港に着き、他の島影が見えるようなところを“絶海の孤島”とは大げさな表現だと思いました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その182《謝国明》渡辺幸重” の続きを読む
現代時評plus《高市リスクplus》山梨良平
中国、日本渡航自粛呼び掛け 在日中国人の身体や生命の安全に「重大なリスク」
これは11月15日にAFPが伝えた。目新しいニュースではない。一方日本の産経新聞は「高市政権で「非核三原則」見直し議論へ 安保3文書改定巡り 実現なら戦後の安保政策転換」とあおるような論調。そして産経新聞は「日本は米国の核兵器によっても守られており「持ち込ませず」という原則を見直すべきだという意見が自民党内にある」と述べた。 “現代時評plus《高市リスクplus》山梨良平” の続きを読む
gallery散歩道《酬恩庵 2》片山通夫
gallery散歩道《酬恩庵 1》片山通夫
gallery散歩道《京都三条界隈2》片山通夫
gallery散歩道《京都三条界隈 1》片山通夫
794 年、桓武天皇により遷都された平安京の都市づくりは、中国の都市計画に学ぶ規則正しい街がつくられました。当時政治都市であった平安京は、位に応じ居住・商いの可能な場所が厳格に定められ、七条大路に接して東西対象に設けられた「東市」「西市」においてのみ商業活動が許されていました。 “gallery散歩道《京都三条界隈 1》片山通夫” の続きを読む
現代時評plus《クマ出没注意!》片山通夫
筆者はほぼ近畿3府県の真ん中に住んでいる。筆者が子供の頃(半世紀以上昔の話)にはまさに「ウサギ追いしかの山 小鮒釣りしかの川」の世界だった。無論かの山は名のある名山ではなくいわゆる里山であり、川は農業用水用の溜池から流れ出る川だった。冬になると村人総出で里山に柴を刈る。その柴は風呂にかまどに使う重要な燃料だった。無論薪も。 “現代時評plus《クマ出没注意!》片山通夫” の続きを読む
「里山研究庵だより」第4回
「里山研究庵だより」第4回
ここ鈴鹿山中では、朝晩、めっきり冷え込むようになりました。心地よい秋はあまりに短く、もう冬支度をはじめなければと思わされるこの頃です。
第1回でお知らせした新連載企画「予め長編連載の全体像を把握するために」の
Ⅲ.長編連載「いのち輝く共生の大地 ―私たちがめざす未来社会―」の≪総目次一覧≫を当方里山研究庵Nomadホームページに掲載しました。 “「里山研究庵だより」第4回” の続きを読む