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それまで「宗教は麻薬だ」という時代から自由になった人々は宗教に寛容になってロシア正教をはじめあらゆる宗教のるつぼとなった。
片山通夫公式サイト 写真:サハリンの冬
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それまで「宗教は麻薬だ」という時代から自由になった人々は宗教に寛容になってロシア正教をはじめあらゆる宗教のるつぼとなった。

闇夜のカラス
サハリンの町におかしな話が聞こえてくる。闇夜のカラスの話である。月明かりのない闇夜の深夜、真っ黒なカラスが無国籍者の家を乙津れることが頻繁にあった。 “追跡「サハリンの冬/011」” の続きを読む
無国籍者への仕打ち

先に述べたように「無国籍」という選択をした朝鮮人たちも多かった。ある朝鮮人家族に聞いた話を紹介しよう。「絶対祖国韓国に帰るんだ」という意志が強買ったようで、頑としてロシア国籍を取らなかった家族がいる。 “追跡「サハリンの冬/010」” の続きを読む
芋床の中で聞く放送

「もう祖国は自分たちのことを忘れてしまった」ある残留朝鮮人は夜ごとウオッカを呑みながら泣いて過ごしたと話す。それでも時には自宅の芋床(芋を保存するための室)にラジオを持ち込んで近所の朝鮮人たちと聞いていた。
「何を聞いていた」と訊ねたら、「祖国韓国のKBS放送や日本のNHKを」とこたえた。芋の室に隠れてアンテナのリード線を伸ばしてアンテナ代わりに短波放送を聞いていたという。しかしこれらのラジオ放送でサハリンに関してのニュースは流れなかった。
「祖国は我々のことをもう忘れてしまったのだ」とまた酒に酔って泣いて過ごした」と聞いた。
筆者も子供の頃、趣味で鉱石ラジオを組み立てて屋根の上まで針金を伸ばしてNHKなどの放送を聞いたことがあった。しかし命がけで芋室の中に潜んで聞いたことはない。ソ連時代は外国の放送を聞くことはスパイとして重罪だ。
ソ連時代のサハリン

サハリン残留朝鮮人たちは「同じ日本人だったのにどうして自分たちは祖国に帰れないのだ?」と常に疑問に思っていた。ソ連は彼らにソ連の国籍(ロシアの国籍)を取るようにすすめたことは言うまでもない。しかし大半のサハリン残留朝鮮人たちは無国籍でいた。
理由は簡単である。 “追跡「サハリンの冬/008」” の続きを読む
日本人から解放されたけれど

日本人は帰ってしまった。墓までもって。しかし彼らが連れてきた朝鮮人を置き去りにした。そしてソ連人がやってきた。ソ連人は当たり前のことだがロシア語を使うので、残された朝鮮人にはわからない。そこで通訳として中央アジアに住んでいるロシア語の話せる朝鮮系の人々を連れてきた。彼らは朝鮮人のことを一段も2段も下に見て接した。彼らの言葉はなじみのない朝鮮半島北部の言葉だった。かつてロシア沿海州へ移住した人々の子孫が多かった。
最後の稚内行連絡船

サハリンの南半分は戦前日本の領土だった。行政は樺太庁という役所をおいて納めていた。樺太には日本人のほかに朝鮮人も多くいた。北海道新聞の調査によるとおよそ6万人だったらしいが、例によって日本はそんなに朝鮮から行っていないと、この数値が多すぎると問題化した。 “追跡「サハリンの冬/006」” の続きを読む
強制連行

いろいろな説があり「嘘だ、まことだ」と日韓の間で争われているのが「慰安婦問題」と「強制連行問題」である。筆者はこの強制連行の問題に関しては詳しく調べてみた。まず日本側は兵站の問題を抱えながら、無謀な戦争を引き起こした。勢い兵士が不足してくるわけだ。 “追跡「サハリンの冬・003」” の続きを読む
サハリン残留朝鮮人

さて「サハリン残留朝鮮人」という呼び名に関して少し説明しておきたい。ソ連邦が崩壊し、ロシアがそのあとを継いでサハリンに住む朝鮮人たちにも春がやってきた。それまでは「朝鮮人」といえば北朝鮮人を指した。しかし「樺太の朝鮮人」たちは「元日本人」であり、韓国南部出身者が大半だった。 “追跡「サハリンの冬・002」” の続きを読む

サハリンは北海道・稚内から宗谷海峡を隔てた海上の島である。南北に900キロほどもありその面積は北海道に匹敵するらしい。日露戦争で勝利した日本はサハリン島のおよそ半分である北緯50度線以南を領有した。以後1945年まで樺太と呼んでいたが、戦後日本の敗戦によって樺太はソ連が占有した。 “追跡「サハリンの冬・001」” の続きを読む
しかし政府というか高市内閣は独断専行が多すぎるようだ。官僚たちとの整合性もあまりなく思い付きで総理答弁をやっている印象が多々ある。最も官僚のペーパーを朗読するだけの答弁もあるのが情けないのだが・・・。彼女の内閣を肯定するわけではないが、せっかく内閣総理大臣に就任したのだから、根性入れて、つまり千載一遇のチャンスなのだから、ここはじっくり構えて大方の国民の支持が得られるような政策を実行してもらいたいものだ。 “現代時評[写真よもやま話ー4ー]片山通夫” の続きを読む
柳生は山里である。今では奈良市内から車で小一時間で行くことができる。かつて作家の山岡荘八氏が「春の坂道」の構想を練ったという屋敷はかつての柳生藩家老小山田主鈴の隠居宅であり資料館として残されている。特に特徴のある山里ではないが、柳生家が治めていた時代、柳生藩の時代に思いを寄せることのできる静かな山里である。 “散歩道《柳生は山里》片山通夫” の続きを読む