お断り:編集室

609studioの更新は今日までで、以後お休みをいただきます。
実は管理人である片山通夫が入院加療中です。
退院後にまた更新を通常通り続けさせていただきますので
その折にはよろしくお願いいたします。

追跡「サハリンの冬/012」

ソ連崩壊後しばらくは難破船も片づけることができなかった。スタロドゥプスコエで。

ソ連崩壊

筆者の知り合いの朝鮮人の話。彼は日本語が堪能だ。6歳の時、家族とともに樺太に来た。そして日本人として日本の小学校を出てその後ソ連の電気工事に関する学校を卒業し元気技師としてある工場に配属された。ある日の昼休み、その男は同僚たちと昼食をとっていた。場所は工場の食堂。何気なくみんなでテレビを見ていると、ゴルバチョフ書記長が演説をしていた。書記長の演説は日常茶飯事なので誰も気に留めなかった。ナノげなく聞き流しただけだった。
夕方、退社時間に工場長から話があるというのでみんなで食堂に集まった。そこで工場長から「国が滅びた」と告げられた。誰も信用しなかったし理解できなかった。
ちょうど日本が戦争に負けたと天皇から告げられた時がそうだったのかもしれない。

現代時評[写真よもやま話ー5ー]片山通夫

さて写真の話。まず当時使っていたカメラ機材は先に述べたようにレオタックス、レンズはトプコール50ミリf2。なぜこの組み合わせだったかというと、中古市場で安かったからに尽きる。フィルムはコダックTRI-Xという舶来のフイルムには手が出なかったので、ネオパンSSS(スリーS ASA200)だった。このフィルムは当時仕上がりが荒くてコントラストも強かったと記憶する。 “現代時評[写真よもやま話ー5ー]片山通夫” の続きを読む