現代時評plus《25/8/15 第一報》山梨良平

今朝25/8/15の朝刊には「きょう終戦の日、各地で310万人の戦没者追悼…戦後80年の「首相談話」発表は見送り」と言う記事(読売新聞)が踊っていた。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20250814-OYT1T50271/

「首相談話」発表が見送られる。なんでも10年前の「安倍晋三氏の談話を上書きされてたまるか!と言う自民党内保守派(?)の圧力のようだ。

【609 Studio】email newsletter 2025年8月12日 #1219

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【609 Studio】email newsletter 2025年8月12日 #1219
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◆現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後》井上脩身
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 毎日のようにラインで近況を知らせてくる旧知の友人の報告のなかに、数年
前から「天皇陛下バンザイ」の書き込みが頻発するようになった。「天皇陛下
バンザイ」という強い響きは、わたしには「名誉の戦死」とかさなり、80年
前のあの重苦しい戦争のイメージがつきまとう。天皇主権の国から、戦後、国
民主権の国になり、天皇自身「戦争勝利の神」から「平和をねがう象徴」に変
わったはずだ。この20年あまり、わが国の右傾化が目立ちだしたが、気の合
う友まで天皇崇拝者になったことにショックをうけ、このままでは戦前のよう
な国になってしまうのでは、とおそれおののいた。その懸念が戦後80年のこ
とし、現実化した。「天皇は国をしらす」と唱える参政党が躍進したのである。
なぜこのようなことになったのか。現人神から象徴へと天皇制が変更されたに
もかかわらず、昭和天皇が退位しなかったことにその一因がある、とわたしは
思う。戦後、この国は生まれ変わるため新たな憲法を制定した。その公布は新
しい天皇の名でなされるべきであった。 “【609 Studio】email newsletter 2025年8月12日 #1219” の続きを読む

現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 全文》井上脩身

毎日のようにラインで近況を知らせてくる旧知の友人の報告のなかに、数年前から「天皇陛下バンザイ」の書き込みが頻発するようになった。「天皇陛下バンザイ」という強い響きは、わたしには「名誉の戦死」とかさなり、80年前のあの重苦しい戦争のイメージがつきまとう。 “現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 全文》井上脩身” の続きを読む

現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 下》井上脩身

参政党の憲法草案

昭和天皇が退位しなかったため、昭和時代は戦後も40年近く経過した1989(昭和64)年までつづいた。1960年ころから経済が高度に成長、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博を経て、「ジャパン・アズ・ナンバー1」といわれるほどに我が世の春を謳歌した。 “現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 下》井上脩身” の続きを読む

現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 上》井上脩身

毎日のようにラインで近況を知らせてくる旧知の友人の報告のなかに、数年前から「天皇陛下バンザイ」の書き込みが頻発するようになった。「天皇陛下バンザイ」という強い響きは、わたしには「名誉の戦死」とかさなり、80年前のあの重苦しい戦争のイメージがつきまとう。天皇主権の国から、 “現代時評《昭和天皇が退位しなかった戦後 上》井上脩身” の続きを読む

エッセー[2025年夏の涙]片山通夫

ヒロシマに投下!

あれから80年。この夏は節目の年だとあちこちで戦争にちなむ催しがあるようだ。

さて今日は8月9日。ナガサキに米陸軍の爆撃機が原子爆弾と言うとんでもない、まだ人類が経験したことのない爆弾を投下した。時間は11時2分。これに先立つ6日にはヒロシマに。ナガサキに落とされた原発の名前はファットマン。ヒロシマにはリトルボーイと言う名前がつけられていた。ナガサキのそれは「太っちょ」、ヒロシマの原爆にはリトルボーイ、つまり「チビ」。

今日、ナガサキの慰霊祭を見ていたら涙が出てきた。7万人の市民を一瞬に焼き殺した爆弾の名前が「太っちょ」だと。
ふざけている。2025年夏の涙。

散歩道《あおによし》片山通夫

「あおによし」は、青丹(あおに)という顔料の色が美しい奈良の都の様子を、「咲く花の薫るがごとく今盛りなり(咲き誇る花が香るように、今が最も美しい盛りである)」と表現した歌に由来しているらしい。710年から794年のおよそ90年間の奈良時代は律令制度が確立され、天平文化に代表される仏教文化が花咲き、国際色豊かな、唐の影響を大きく受けた時代だった。 “散歩道《あおによし》片山通夫” の続きを読む

現代時評plus《80年かかってその程度か》一ノ瀬明

長崎市に投下された原爆のキノコ雲(ウイキペディアから)

今日8月9日は、80年前にナガサキに原発が落とされた日だ。核爆弾の威力はヒロシマで充分味わった。当時の長崎市の人口24万人(推定)で、そのうち約7万4千人が死亡、建物は約36%が全焼または全半壊した。

アメリカがヒロシマとナガサキに形の違う核爆弾を投下したのは、まさに実験だったのだろう。何しろ人間が何万人もいる都市をターゲットに投下したことは、如何に戦争だと言っても許せない暴挙だ。勿論我が国の政府・軍部がせめてもう少し早く降伏していれば、ヒロシマやナガサキの悲劇はなかった。 “現代時評plus《80年かかってその程度か》一ノ瀬明” の続きを読む

散歩道《奈良町辺りから二月堂へ》片山通夫

東大寺戒壇堂辺り

 

前に書いたと思うが、奈良町と言う古(いにしえ)の奈良を彷彿をさせる一角がある。飛鳥から移ってきた元興寺の寺内町だったとおもわれるが、もしかして境内だったのかもしれない。当時の寺院は絶大な力を持っていた。この寺院の屋根瓦の一部だろうが飛鳥時代のものだと言われている。寺院を飛鳥から今でいう奈良町まで運んで来た経済力には驚かされる。 “散歩道《奈良町辺りから二月堂へ》片山通夫” の続きを読む