編集長が行く《関東大震災と横浜・関西村 写真集#4》写真 井上脩身

記事に載せられなかった写真を掲載する。

#1 関東大震災で壊滅状態になった横浜市中心部(ウィキベテアより)
#2 関西府県連合がつくった仮設病院(「横浜市資料室紀要第5号」より)
#3 関西村の各施設配置図(「横浜市資料室紀要第5号」より)
#4 関西村の全景(「横浜市資料室紀要第5号」より)
#5 関西村の奈良通り(「横浜市資料室紀要第5号」より)
#6 大勢の児童がいる南吉田第二尋常小学校(「横浜市資料室紀要第5号」より)

 

編集長が行く《関東大震災と横浜・関西村 #3》文・写真 井上脩身

 関西村の全景(「横浜市資料室紀要第5号」より)

90年ぶりに表に出た写真帖

関西村はあくまで復旧・復興までの仮設の村である。1924年2月末、仮設バラック500棟を翌年2月までに廃止する方針が打ち出され、関西村では1925年2月25日、解散式が行われた。
関西村病院は神奈川県による小児科と眼科が中心の病院になり、村の敷地のほぼ中央に高等小学校を新設。警察は別の場所に移された。
戦後、この一帯は大規模な区画整理が行われ、関西村当時の建物はすっかり消えた。
わたしは講座の数日後、関西村の跡地をたずねた。火の川となった中村川の上に高速道路が通り、そばに1951年に建てられた市立中村小学校の鉄筋校舎が見える。その隣に埋蔵文化財センターの朽ち果てかかった鉄筋コンクリートの建物。建物自体が文化財のような風情だが、関西村当時にはなかったものだ。小学校の西隣に市の中村地区センター。講義室や体育館があり、健康講座など、市民のためのさまざまな事業が行われている。実は関西村講座は、南図書館と地区センターの共催で行われたのだ。
地区センターの担当者に「関西村の名残をとどめるものはりませんか」とたずねると、「何もない。歴史を語り継ぐための碑をつくりたい。それには少しでも多くの人に知ってもらいたいと、講座を開いた」という。「全くなにもないのですか」ときくと、「関西村記念写真帖」と「横浜市日報」を教えてくれた。
 写真帖は2013年、市民から南図書館に寄贈されたもので、約10点の写真には関西村全景や病院、役場、小学校、奈良通りのバラックなどが写っている。関西村開設1周年を記念して撮影されたとみられ、医師、看護師らが集合した病院前の写真、児童が体操している南吉田第二尋常小学校の写真など、関西村の実態を知るうえで貴重な記録である。これらの写真が、震災から90年という時空を超えて突然表に出たことが、松本教授らが研究を始めるきっかけとなった。
 写真帖のうちの数点は松本教授の論文を取り上げた横浜市資料室紀要第5号に載っていて、わたしも目にしていたのだが、地区センター担当者の言葉から、これらの写真が重要な資料であると知ったのだ。あらためて写真を見た。不思議なことに、写っている人たちから震災に対する悲壮感が感じられない。関西村にいれば日々の暮らしができるという安心感があるからであろうか。
「横浜市日報」は横浜市が発行した。同市内にあった横濱貿易新報など3新聞社の活字を拾い集めて、震災10日目の9月11日付からタブロイド判の新聞製作をはじめた。毎日、青年会・学校・神社などを通じて市民に無料で配布し、10月31日付の第51号まで発行された。第20号を除いて横浜市中央図書館が所蔵しており、ネットで読むことができる。
 第1号の冒頭、横浜市長が「貿易都市としての横浜の面目を回復したい」との抱負を寄稿。「臨時バラック建造」(第5号)、「罹災者避難所竣工」(第10号)、「公設市場の設置」(第15号)、「学童の残存4万余、688教室必要」(第17号)、「震災救護病院開始」(同)、「救護材料陸揚げ」(第19号)など、関西村に関係する記事も掲載されている。

大正デモクラシーのなかで

 わたしは「関西村」について二つのことを思った。一つは、大阪府をはじめとする関西各府県の支援への動きの早さである。救援のため人材を派遣するだけにとどまらず、震災5日後には被災者のための病院をつくることまで決めているのだ。国からの指示や命令でなく、関西の自治体がタッグを組んで素早くやってのけたという事実は驚嘆すべきことだ。関東大震災は大正12年のことである。たしかなことはいえないが、大正デモクラシーの風潮が関係しているのではないだろうか。
大正デモクラシーはおおむね大正時代に起きた政治・社会・文化の各方面での民本主義の発展、自由主義的な運動、風潮を指す。民本主義を唱えた吉野作造が「政治は民衆の利益のためにはからねばならない」と主張していたのを受けて、震災当時の土岐嘉平・大阪府知事は「民衆のために」と、躊躇せずできる限りの支援を図ったのであろうか。戦後、短期ながら首相になった石橋湛山は『大正時代の真評価』のなかで、大正デモクラシーについて「デモクラシーの発展史上、特筆大書すべき時期」と評価したが、関西村はデモクラシー発展の象徴と言えるだろう。
 ではなぜ関西村のことが後世に伝承されなかったであろうか。これが、わたしが思いをめぐらすもうひとつのことだ。これも大正デモクラシーが関係しているように思われる。
関東大震災では朝鮮人大虐殺のほか、9月16日には、無政府主義者の大杉栄が憲兵大尉の甘粕正彦らによって殺害される甘粕事件が起きた。こうしたことから、大正デモクラシーは関東大震災によって終わったともいわれる。終焉時期については異論もあるが、昭和に入って軍国主義が大手を振り、政治は天皇国家のためであって、民衆の利益のためではなくなった。大正デモクラシーは否定され、「民衆の利益」のための関西村は「なかったこと」にされてしまったのではないだろうか。関西村によって多くの被災者が生き延びることができたにもかかわらず、伝承碑のひとつも建てられなかったのはその証左であろう。
 新しい憲法が制定され、民主主義国として生まれ変わろうとした戦後になっても、関西村を見なおし、再評価する動きは起きなかった。1960年に9月1日が「防災の日」と定められた後も、関西村は歴史の底に沈んだまま浮き上がらなかったのだ。
 関東大震災が起きた100年前と現在では都市構造や住宅、交通、インフラなど全ての面で状況は全く異なる。関西村と同じものを造ったところで、適合しないであろう。とはいえ参考にすべき点は少なくないであろう。少なくとも、「被災した民衆の利益のために」という精神は今も変わらないのだ。
 2024年は、元日の能登半島地震で始まった。遠からざる将来、南海トラフ巨大地震が起きるといわれている。地震大国ニッポンはいま不気味な胎動のなかにあり、巨大地震対策は急務である。その具体策は当然のことながら「民衆の利益」のためのものでなければならない。
 民主主義の観点から、今こそ関西村を見なおすべきときである、と訴えたい。(明日に続く)

編集長が行く《関東大震災と横浜・関西村 #2》文・写真 井上脩身

関東大震災で壊滅状態になった横浜市中心部(ウィキベテアより)

関西府県連合病院と小学校
震災が発生した日の夕方、森岡二朗・神奈川県警察部長は、横浜港から海を泳ぎ、東洋汽船の貨物船これ丸の無線を借りて東京府に救援を要請。応答がなかったため大阪府知事あてに「本日正午、横浜に大地震、ついで大火災あり。全市炎上。死傷おびただし」と打電。この無線が各地で傍受され、地震による惨劇が世界中に流れた。 “編集長が行く《関東大震災と横浜・関西村 #2》文・写真 井上脩身” の続きを読む

編集長が行く《関東大震災と横浜・関西村 #1》文・写真 井上脩身

関西村をテーマに開かれた講座

横浜市の地下鉄の掲示板に「関西村」と記されたチラシがはられていた。横浜と関西?
意外な取り合わせに目がとまった。関東大震災で甚大な被害を受けた横浜市の中心部に、関西の府県が被災者のための救援村をつくり、ハマっ子たちから「関西村」と呼ばれた。100年後の今、その事実が横浜市民に知られていないので講座を開く、というのがチラシの趣旨であった。 “編集長が行く《関東大震災と横浜・関西村 #1》文・写真 井上脩身” の続きを読む

とりとめのない話《ロンボク海峡を知ってますか?》中川眞須良

日本の海峡

百もの火山、何百ものジャングル、何百もの民族で構成されている東南アジアの大国・インドネシアは大小二つのスンダ列島で構成されている。その列島のバリ島とロンボク島の間に位置するロンボク海峡は原油を満載した超大型タンカーの迂回ルートとしてよく名を聞くが、20年以上前インドネシア政府が国際海洋法に準ずる海峡として自由航行を認めた。その時以降海峡を通過する船舶が急増している。海峡西側のバリ島は観光の島として人気があり、別荘を購入する人、長期の賃貸契約を結ぶ人など数多く、地域によっては欧米タウンと呼ばれている。 “とりとめのない話《ロンボク海峡を知ってますか?》中川眞須良” の続きを読む

徒然の章《秋・紅葉》写真・中務敦行

例年と比して残暑が厳しい「秋」でしたがようやく、しかし一気に秋がやってきました。
*お断り:キャプションは編集部が書きました。

【609 Studio】email newsletter 2024年12月3日 #1184 

**◇◇**◇◇**◇◇**◇◇**◇◇**
【609 Studio】email newsletter 2024年12月3日 #1184  
──────────────
世界の話題、LAPIZ編集長のコラムなど多彩な話題満載!
なおLapizOnlineは609studioと統合いたしました。
また諸般の事情によりサハリンの話題は都合により当面休止いたします。 
購読無料!
───────────────
◆現代時評《古墳時代並みの明治政府、そして今も・・・》片山通夫
───────────────
読売新聞が24年11月30日付で次のような記事を書いた。

仁徳天皇陵、明治期に「威厳」増幅…列強各国へアピール狙い濠の堤2mかさ上

:宮内庁は29日、日本最大の前方後円墳・ 大山 古墳(仁徳天皇陵古墳、堺
市)を囲む 濠 の堤が、明治期に約2メートルかさ上げされていたとみられると
発表した。5世紀頃の築造当初から大幅に改造して古墳の存在感を増したと考え
られ、宮内庁は「明治政府が列強各国に対し、日本の天皇制や歴史をアピールす
る狙いがあったのだろう」と分析している。

記事の詳細は以下から。
https://www.yomiurculture/20241130-OYT1T50039/

筆者を驚かせたのは、明治時代に仁徳天皇陵を囲む堀のかさ上げを2メートルし
たことよりも、威信を保つためか諸外国に「日本の天皇制や歴史をアピールする
ため」だったとしたことだ。

宮内庁の分析はほぼ間違いがないだろうが、念のため現宮内庁のHPに記載されて
いる沿革を転記しておく。
「文武天皇の大宝元年(西暦701年)に完成された大宝令官制には、後の宮内省
の管轄したものと類似の組織があったことがうかがえます。
その後の変遷を経て、明治22年大日本帝国憲法の発布とともに、皇室典範が裁定
され、皇室自律の原則が確立しました。明治41年には皇室令による宮内省官制が
施行され、宮内大臣は皇室一切の事務につき天皇を輔弼(ほひつ)する機関とさ
れました。」

古くは大宝元年(西暦701年)の大宝令官制に習ったものだと考えられているが、
全ては明治11年位から確立されたものだという。
乱暴な言い方をすれば、明治維新など、昭和になってから皇室を絶対視しだした
が、江戸時代末期までおそらく皇室、つまり京都の都の「天子様」は、江戸の徳
川様程は知られていなくて、幕末から明治のはじめにかけて、それまでの江戸幕
府の権威を天皇に刷り変えなくてはならなかった事情があったと思う。

諸外国への権威のアピールも徳川幕府でなく、天皇を頂く王政の明治政府でなく
てはならなかった。権威付けの為なら「陵墓のかさ上げ」位はなんでもなかった
のだろう。この「商簿のかさ上げ」以外のも様々な所で「皇室の権威付け」が行
われたことだろう。
そうでなくては天皇は、いや明治政府は存在しえなかったと思う。それにつけて
も高々200年にも足りない歴史を「日本の伝統」だとか言って天皇は男系男子で
なくてはならないなどとたわけたことをいまだに言っている国会議員もいるとか。

こうしてみると我が国の政権をつかさどる人々は議員も官僚も何が目的なのだろ
うか。仁徳天皇陵の堀のかさ上げ同様、「見かけ」をよくしたら良いという事な
ら、まるで張り子の虎でしかないのだが。
───────────────────────────
【出版案内】

新版 日本の島事典 単行本 2022/12/2
長嶋俊介 (著), 渡辺幸重 (著)

27年ぶりの改訂新版。収録島数、国内最多!日本の全容を総合知で集約した歴史
的大著?国土地理院地図情報をベースに有人島、人工島、無人島など約15,000島に加え、岩礁なども丹念に調べ上げ、島の現在を特定。
国境水域における国際関係が複雑化するなか、島国である日本の成り立ちと現状
を知ることのできる比類なき事典。 https://x.gd/i2TJY

出版社 三交社 (2022/12/2)
単行本 1600ページ
ISBN-10 4815540551
ISBN-13 978-4815540555
───────────────────────────
◇◇世界のニュース 各紙にみる北朝鮮情報◇◇ 順不同
───────────────────────────
*FNN
北朝鮮の金正恩総書記がロシアのベロウソフ国防相と会談…アメリカなどが自国
の長距離兵器でロシアを攻撃させたことに「軍事介入だ」と批判
https://x.gd/UF5Xf

*東京新聞
金正恩氏、ロシア侵攻で米欧批判 長射程兵器は「軍事介入だ」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/370597?rct=world
───────────────────────────
◇◇地方紙から(順不同)◇◇

毎週地方紙の記事を何本か紹介するコーナーです。

*北海道新聞
ロシア、志願兵への支払金が財政圧迫 国防費は歳出4割超 継続疑問視も
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1094138/

*秋田魁新報
秋田市のスーパー店内にクマ侵入、男性従業員けが 臨港署近く、開店前
https://www.sakigake.jp/news/article/20241130AK0003/

*岩手日報
パチンコ店、災害時の避難拠点として注目 駐車場広く建物頑丈
https://www.iwate-np.co.jp/article/2024/11/30/174859

*カナコロ
ベイスターズの日本一優勝パレード始まる ミナト横浜は再び歓喜の渦
https://www.kanaloco.jp/sports/baseball/baystars/article-1129733.html

*大分合同新聞
大分県警「闇バイトに手を出さないで」 SNSの求人通じ相次ぐ事件…学生らに
啓発https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2024/11/30/JDC2024112000444
───────────────────────────

【出版案内】

「光太 虹の国に行く」  いのしゅうじ(本名・井上脩身) 著
 中学1年生の光太が同級生のケイ子とともに、1万匹のタマムシが引く飛行機
に乗って虹の国に行き、虹の国の子どもたちと冒険をする物語。
詳しくは https://x.gd/x39ud

文芸社 刊 ISBN:978-4-286-24684-0
定価:1,320円 (本体 1,200円)
判型:四六上
ページ数:164
発刊日:2023/11/15
ジャンル:童話
───────────────────────────
【出版案内】

片山通夫写真集 ”ONCE UPON a TIME”

アマゾンでも電子雑誌として販売中!  https://onl.bz/EVvmBhx

60年代から撮り続けたドキュメンタリー220点あまりを収録した写真集。1960年
代のキューバ、「北送」と呼ばれた在日朝鮮人の祖国帰還の新潟港。ベイルート
の重信房子、ブルガリア、チェコ、ルーマニアなど東欧諸国の民主化や廃墟とな
ったチョルノブイリ、作者のライフワークとなったサハリンの戦後問題。そして
時代を映す日本の折々の風景をモノクロームで描いた作品集。オンデマンド印刷。

全286頁。モノクローム写真239点を収録。
発行 publishing house Lapiz
本体価格 5000円(税込)+送料(600円)

お問合せ・ご注文はメールで。
michiokatayama*gmail.com  *→@に変えてください。

お名前、電話番号、郵送先など連絡先をお忘れなく。
────────────────────
◇編集長から:片山通夫  
────────────────────
寒くなってきました。先日明治村に行ってきました。明治になって我が国が西欧に追いつけ追い越せとばかりに、旧帝国ホテルの玄関、聖ザビエル天主堂、また政府が集めた蔵書を守った重厚な図書館である内閣文庫など、明治時代に建てられた素晴らしい建築を堪能できた。見ているうちにふと思ったのが、それが模倣であれ、創意工夫であれ、明治時代は新しい息吹を感じられる時代だったのだろうということ。現代時評に書いた西欧に対する見栄も多分に感じられたが、それなりの大成功だったと言える。この点は大いに尊敬したいものだ。
現代の「伝統」とやらを振り回す連中とは一線を画したい。
────────────────────
【609 Studio】email newsletter

発行日  2024年12月3日 #1184   
FB  https://www.facebook.com/michio.katayama.5
配信 まぐまぐ配信システム ID:00000522369
contac mk*609studio,com *→@
website http://www.609studio.com/
投稿   http://www3.ezbbs.net/06/609studio/
購読 解除 https://www.mag2.com/m/0000052236

◇禁・無断転載◇
───── ───── ───── ───── ───── ───

連載コラム・日本の島できごと事典 その156《最古の灯台》渡辺幸重

現役最古の石造灯台である紀伊大島の樫野崎灯台(串本町公式サイトより)

以前「国内最古の灯台」はどこか調べたことがありますが、かなり難航しました。いくつも出てくるのです。「洋式かどうか」「レンガ造りか石造りかコンクリート造りか木造か鉄造りか」「完成時期か初点灯時期か」「現存するか」「現役か」「官設か」などによって異なるようなので、条件を定める必要性を感じました。そこでもう一度、国内最古の灯台についてまとめてみました。


日本の洋式灯台はすべて明治期以降に建設されましたが、江戸幕府が1866(慶応2)年にアメリカ・イギリス・オランダ・フランスの4ヵ国と締結した改税約書(江戸条約)で全国に八つの灯台を建設する約束をしたことがきっかけです。その灯台とは、観音埼(かんのんさき:神奈川県)、野島埼(千葉県)、樫野埼(かしのさき:和歌山県紀伊大島)、神子元島(みこもとじま:静岡県)、剱埼(つるぎさき:神奈川県)、伊王島(いおうじま:長崎県)、佐多岬(さたみさき:神奈川県)、潮岬(しおのみさき:和歌山県)です。さらに翌年に幕府がイギリス公使と結んだ大坂約定(大坂条約)で建設することになった江埼(えさき:兵庫県)、六連島(むつれじま:山口県)、部埼(へさき:福岡県)、友ヶ島(和歌山県)、和田岬(兵庫県)の5灯台と合わせて「条約灯台」と呼ばれています。
“連載コラム・日本の島できごと事典 その156《最古の灯台》渡辺幸重” の続きを読む

◆現代時評《古墳時代並みの明治政府、そして今も・・・》片山通夫

読売新聞が24年11月30日付で次のような記事を書いた。

仁徳天皇陵、明治期に「威厳」増幅…列強各国へアピール狙い濠の堤2mかさ上

:宮内庁は29日、日本最大の前方後円墳・ 大山 古墳(仁徳天皇陵古墳、堺
市)を囲む 濠 の堤が、明治期に約2メートルかさ上げされていたとみられると
発表した。5世紀頃の築造当初から大幅に改造して古墳の存在感を増したと考え
られ、宮内庁は「明治政府が列強各国に対し、日本の天皇制や歴史をアピールす
る狙いがあったのだろう」と分析している。
記事の詳細は以下から。

https://www.yomiurculture/20241130-OYT1T50039/

“◆現代時評《古墳時代並みの明治政府、そして今も・・・》片山通夫” の続きを読む

びえんと《巌窟王事件から見る袴田事件》Lapiz編集長 井上脩身

再審で無罪を勝ち取って喜ぶ袴田さんの姉、秀子さんら(毎日新聞電子版より)

【Lapiz】袴田事件の再審で静岡地裁は9月26日、袴田巌さんに無罪を言い渡した。想通りの判決であったが、私が注目したのは裁判官が謝罪するかどうかであった。再審判決で国井恒志裁判長は、「5点の着衣」などの証拠を捏造と認定、冤罪を引き起こした捜査機関を厳しく糾弾した。しかし、証拠の捏造については、原審段階でも疑いがもたれていた。公正な裁判が行われていれば無罪になっていた可能性があり、原審裁判官に責任がないとはいえない。冤罪事件の原点といわれる吉田巌窟王事件では、犯人とされた吉田石松さんが逮捕されて49年後の1963年、再審で無罪を言い渡した裁判長は、判決文に「われわれの先輩が冒した過誤をひたすら陳謝する」と書き、頭を下げた。袴田再審では検察側が控訴を断念、袴田さんの無罪が確定したのは逮捕されて58年後。「巌窟翁」を9年も上回る苦節の人生をたどった袴田さんに対し、国井裁判長は判決後、「ものすごい時間がかかった」と謝った。だが、先輩の誤判に対する謝罪ではなかった。 “びえんと《巌窟王事件から見る袴田事件》Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む