現代時評《夏の思いで》片山通夫

小さな漁港が和歌山県にあった。加太港と言った。ある夏、隣接する海水浴場で民泊したことがあった。時期は定かではないが、「南国土佐を後にして」と言う歌が街中を席巻していた。最もボクはかなり後でないと、はやり歌は知らなかった。なにはともあれ、加太の民宿の前にあった岸壁は漁船の溜まり場だった。そして夕日が沈む頃の岸壁は近所の夕涼みの人々が集う場所だった。そんな時あの歌が聞こえてきた。きれいな声で何人かで歌っていた。聞くともなく聞いていたら、歌詞に「薩摩おろしがそよそよと・・・」とあった。歌は高知県を舞台に歌われている「南国土佐を後にして」だった。歌詞に「薩摩」が出てくる。ここは和歌山。紀淡海峡である。何となくそんなことを考えていた。紀淡海峡は淡路島と和歌山の間、紀州と四国の間には紀伊水道、おまけに高知と薩摩には黒潮流れる太平洋。海はすべての島々を繋いでいるのだと改めて気が付いた。

話は変わるが Seven Seas という言葉がある。文字通り七つの海だ。しかし単純には行かない。時代によって人々の認識が変化するからである。例えば、中世アラビア人は、彼らが帆船で航海した全ての海を7つに数え上げた。これしかなかったのかもしれない。ある意味、本来の「七つの海」であると言える。
大西洋 地中海 紅海 ペルシャ湾 アラビア海 ベンガル湾 南シナ海であった。
少し後のヨーロッパ人は 大西洋 地中海 黒海 カスピ海 紅海 ペルシャ湾 インド洋だった。
それが大航海時代には、大西洋 地中海 カリブ海 メキシコ湾 太平洋 インド洋 北極海(北氷洋)となり世界の海を網羅した。
そして今現在は 北大西洋 南大西洋 北太平洋 南太平洋 インド洋 北極海(北氷洋)南極海(南氷洋)

こんなことを考えながら加太の漁港で、土佐、薩摩を、そして七つの海に思いを馳せた夏だった。
海は広いし大きいのだ。

何年目かの原爆の日、そして8月15日が訪れる。 合掌。