monolog《俺のレンズにゃ味がある。002》片山通夫

NikonF

話はどんどん飛ぶ。最初に使ったレンジファインダーカメラはレオタックス。このカメラは、かつて東京、葛飾区新宿(現柴又一丁目)に存在したカメラメーカーが作っていたという。柴又?!フーテンの寅と同じ生まれ。
道理でボクもフーテンの気配が濃厚。勿論コピーカメラ。およそ日本の製品は、車であれカメラであれコピーから始まった。さてレンズだが、同様にコピーライカを製造していたニッカカメラは日本光学(現ニコン)のニッコールを装着していたがレオタックスは東京光学(トプコン)のトプコールを装着していた。
ボクが手に入れたレオタックスは戦後作られたものだと思う。結構調子よく動いていたが、ある時、1963年頃だったか突然動かなくなった。勿論中古品だったし、安かったから買ったのだからやむを得ないとあきらめた。
そして世間は一眼レス全盛期になっていた。なんでも所謂朝鮮戦争(1950年6月25日~1953年7月27日)に従軍していた各国のカメラマンの間で「丈夫でよく写る」と評判で飛躍的に売れたという噂を聞いたことがあったが、確かめたわけではない。
ボクもNikon Fという一眼レフを一時期使っていたが、威圧的で重いので望遠レンズが必要な時以外は使わなかった気がする。この辺りは記憶があいまい。けれどNikkorレンズはとてもシャープだった。それはそれで良いのだけど、ここでいう「味はない」気がした。(続く)