◇現代時評《安倍元首相襲撃容疑者の心を読む》井上脩身

街頭演説中の安倍晋三元首相が手製銃で暗殺された事件で、容疑者が宗教団体「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」の最高幹部に強い恨みを持っていたことがこれまでの捜査で判明。さらに安倍氏を狙った理由について、容疑者は安倍氏が同教団に近い関係にあると思ったから、と供述しているという。だが、これだけの動機で銃の引き金を引いたとは思えない。容疑者はなぜ同教団の教祖的存在である最高幹部に代えて安倍氏殺害に至ったのか。容疑者には、安倍氏がカリス性をおびた政治的教祖に見えたからではないのだろうか。この事件の解明のカギは「教祖」だと私は考える。

これまでの報道から事件の概要を整理しておきたい。
7月8日午前11時ごろ、奈良市の近鉄大和西大寺駅近くで、安倍氏が自民党候補者の応援のため街頭演説をしていたところ、背後から接近した山上徹也容疑者(41)が手製の拳銃(長さ40センチ)を発砲。2発目が命中し、安倍氏は失血死した。
山上容疑者の叔父の話では、山上容疑者の母親は、容疑者が小学生だった1991年、同教団に入った。夫が自殺したうえ、容疑者の兄が小児がんを患って右目を失明したことから宗教活動にのめり込んだという。母親は入信時に2000万円を献金したのをはじめ、少なくとも1億円を同教団に献金し、自己破産した。このため家庭は経済的に困窮。容疑者は奈良県有数の高校に進学したが、大学進学を断念。2002年8月、海上自衛隊に入隊、2005年1月に自殺未遂を起こした。以後、同教団への恨みを募らせたという。

同教団は1954年、文鮮明氏が設立。2012年に文氏が死去した後、妻の韓鶴子氏が最高幹部である総裁を引きついだ。韓氏は日本布教60周年の2018年に続いて2019年10月にも来日しており、翌2020年10月に韓氏が来日すれば、容疑者はその機会をとらえて襲撃するつもりであったとみられる。ところが新型コロナウイルスの感染拡大で来日の見込みがなくなり、最高幹部襲撃は事実上不可能になった。
容疑者がターゲットを安倍氏に変えたことはすでに述べた通りである。容疑者は「(安倍氏の祖父の)岸元首相が統一教会を日本に入れた」という意味の供述をしている。
ウィキペディアによると、岸氏は文鮮明の盟友。岸氏の自宅付近に統一教会の施設があり、岸氏は交流会や講演会などを行ったという。孫である安倍氏は2021年9月、同教団の友好団体の行事に動画でメッセージを寄せ「(友好団体が)家庭の価値を強調する点を高く評価する」と述べた。容疑者は今年3~4月にこのビデオメッセージを知り「(安倍氏を)殺そうと思った」と供述。このメッセージの存在を知ったのを機に、拳銃製造に邁進したものとみられる。
山上容疑者が襲撃に使った拳銃は二つの金属筒をテープで巻いて固定したもので、1本の金属筒の中に6個の小さな弾を込めたカプセルが詰められ、計12発を発射できる散弾銃構造。容疑者は安倍氏の後方数メートルの所まで接近して発砲。流れ弾が90メートル先の駐車場の壁に食い込んでおり、手製とは思えないほどの性能を示していた。容疑者は試射を繰り返しており、周到に準備を進めてきたことは明らかだ。
容疑者が発砲に際し、ちゅうちょ、逡巡した形跡はない。私が知る範囲では、暴力団の抗争の際、いざ実弾を撃つ段になると、ぶるぶる震える組員は少なくない。20年前に海上自衛隊にいただけの容疑者が震えることなく引き金を引いたとはどういうことだろう。
同容疑者が襲撃前日、松江市の男性に送ったとみられる手紙には、安倍氏について「(同教団への)最も影響力のあるシンパの一人にすぎない」と書いており、安倍氏が容疑者家庭を崩壊させたわけでないことは十分認識していた。恨むべき相手でないことはわかっていたのである。
容疑者はネット上で安倍氏が同教団の友好団体にビデオメッセージを送ったことを知って以来、安倍氏に関する情報・データを集めたと思われる。2017年の東京都議選での街頭演説で「安倍辞めろ」のヤジに対し「こんな人たちに負けるわけにいかない」と声を張り上げた様子や、「桜を見る会」では両手を広げて支持者に愛嬌をふりまく様をネットなどで目にしたであろう。容疑者にとってその姿は、信者には笑顔を見せ、敵対する者には牙をむく教団の教祖のように見えたのではないだろうか。
安倍氏はいうまでもなく宗教団体の教祖ではない。しかし、森友問題では虚偽答弁を繰り返し、まじめな役人が自殺するという、政治家としての良心が問われる事態に至っても、安倍氏を絶賛する強固な支持層の揺らぐことのない厚さをみると、一種教祖的なカリスマ政治家であることは否定できない。
容疑者は街頭演説を始めた安倍氏を間近にとらえ、心の中に描いた教祖像と変わらないことを確認したと思われる。そうであればこそ、何のためらいもなく引き金を引いたのであろう。
そうだとしても、通常、宗教上の教祖と政治上の教祖を混同することはあり得ず、犯行動機として司法関係者を納得させるものではない。安倍氏もこんな理由で殺されたのであれば浮かばれまい。だが、旧統一教会への火山の大爆発にも劣らない激しい恨みが、容疑者の心の中で混同を引き起こして犯行に及んだ。こう考える以外にこの事件は説明がつかないのである。