連載コラム・日本の島できごと事典 その36《島の高級ホテル》渡辺幸重

浜名湖ホテル

「島の高級ホテル」というと、最近次々にオープンしている沖縄の外資系ホテルを思い浮かべるでしょうが、今回は静岡県の島で開業した戦前と戦後の二つのホテル「浜名湖ホテル」と「淡島ホテル」を紹介します。

浜名湖ホテル(写真)は、1938年(昭和13年)に東海道の舞坂(まいさか)宿と新居(あらい)宿の間にある浜名湖・弁天島にオープン、現在は箱根・芦ノ湖畔に移築されて日帰り温泉施設「龍宮殿本館」(国登録有形文化財)となっています。淡島ホテルは、富士山を望む駿河湾奥に浮かぶ淡島に1991年(平成3年)に全室スイートルー ムの超高級リゾートホテルとして開業、現在でも「あわしまマリンパーク」とともに伊豆の観光を担っています。
弁天島は東海道新幹線や国道301号線が通る浜名湖の南部にあり、埋め立てて築造した人工島を含め8つほどの島の総称です。浜名湖ホテルはそのひとつ・乙女園に飛島組(現在の飛島建設)の当時の先代社長、飛島繁が建設したもので、国内でも屈指の高級ホテルとしていちやく弁天島の名物になりました。というのも、外観が宇治の平等院鳳凰堂をモデルにその約2.7 倍の規模で設計された優雅な造りだったからです。外観は純和風ながら客室はすべて洋室、食事はフランス料理という先進的なスタイルで、客は弁天島駅との間を馬車で送迎されました。厨房には当時としては最先端の皿洗い機があったそうです。ただ、浜名湖ホテルは1年半で休業となりました。あまりにも高級指向だったこと、世の中が戦争に向かう時代だったことが影響したようです。太平洋戦争では接収されて静岡県や日本軍の所属施設となりました。戦後は結核療養所となり、さらに箱根・芦ノ湖畔に移築され、1957年(昭和32年)に箱根プリンスホテル和風別館「龍宮殿」として生まれ変わりました。移築と復元作業は1年以上の期間を要し、京都の宮大工など全国各地の多くの技術者が携わったといいます。

淡島は、東京相和銀行のオーナー会長・長田庄一が日本経済がバブルに入る頃に観光開発を企画したところで、1984年(昭和59年)に淡島海洋公園(現あわしまマリンパーク)を開園しました。淡島ホテル開業はバブル経済が崩壊し始めた1991年(平成3年)。富士山の絶景を望む全室オーシャンビューのスイートルームを備え、12歳未満の子供は入館できない大人の超高級会員制リゾートホテルでした。大名籠を模した海上ロープウェイで富士山を眺めながら島に渡るのも話題になったようです。長田がシラク元仏大統領を接待した場所としても知られています。しかし、バブル経済がはじけて1999年(平成11年)に東京相和銀行は破綻、その後長田も不正増資疑惑事件で有罪判決を受けました。2018年(平成30年)に経営が長田一族から別会社に移り、現在では「ウィンダムグランド淡島」という名称になっています。この間の経緯はバブル経済を象徴する物語として語られています。

写真:当時の浜名湖ホテル
「芦ノ湖畔蛸川温泉 龍宮殿」HPより