連載コラム・日本の島できごと事典 その32《日本初ネイティブ英語教師》渡辺幸重

トーテム・ポール型のラナルド・マクドナルド上陸記念碑(「ウィキペディア」より)

鎖国時代の1848年(嘉永元年)、一人のアメリカ青年が北海道北西側の日本海に浮かぶ焼尻島の白浜に上陸しました。もちろん密航です。青年の名はラナルド・マクドナルド。ニューヨークから捕鯨船に乗り込み、樺太沖から単独ボートに乗り換えて焼尻島に上陸したのです。彼の母親はネイティブアメリカンで、肌が有色のため差別を受けていたマクドナルドは、母方の親戚から自分たちのルーツは日本人だという話を聞いて日本にあこがれ、日本行きを決意したということです。10日ほど焼尻島で暮らしたあと74kmほど北にある利尻島に移動し、そこで密入国者として捕らえられ、宗谷、松前を経て長崎へ送られました。そして、1849年4月に長崎に来航したアメリカ軍艦プレブル号に引き渡され、日本上陸10カ月後にアメリカに帰ったのです。
マクドナルドは「日本で初めてのネイティブ英語教師」といわれています。それはなぜでしょうか。彼は長崎に約7ヶ月間滞在しましたが、その間の半年間、日本人に英語を教えたのです。当時の英語学習はオランダ語を通じてのものでオランダなまりの強い発音だったので、マクドナルドの誠実な人柄と教養を認めた長崎奉行がオランダ語通詞14人を彼につけて英語を学ばせることにしたといいます。ネイティブ英語を会得した教え子たちはペリー来航の際に通訳を果たしました。また、帰国したマクドナルドは、アメリカ議会で日本が未開社会ではなく法治国家であり、日本人は礼節正しく民度も高いと説き、アメリカの対日政策にも影響を与えたそうです。
焼尻島にはトーテム・ポール型のラナルド・マクドナルド上陸記念碑があります。利尻島にも上陸記念碑が建ち、生誕地のオレゴン州アストリアにも日本語で書かれた記念碑があります。利尻島にある北海道立利尻高校では2013年度から「ラナルド・マクドナルド奨学基金」によるアメリカ短期留学制度を実施しており、日本をルーツとあこがれたアメリカ青年の夢は現代につながっています。