現代時評《アメリカ世》山梨良平

琉球国 第18代 尚育王

「アメリカ世」という言葉がある。「アメリカゆー」と沖縄では発音する。あの忌まわしい戦争で日本が負けた時から、沖縄は「アメリカ世」と呼ばれることになった。1972年までの27年間を指す。この間沖縄はアメリカの一部として扱われた。ものの本にはこの27年間では沖縄の公用語は日本語とともに(事実上ではあるが)英語と書かれている場合もある。少し歴史を振り返る。明治時代のことである。実に失礼な話だが「琉球処分」という言葉がある。
当時は薩摩に隷属していたとはいえ、琉球王国と呼ばれる一個の王国だった。しかし明治政府によって日本の版図に組み込まれ沖縄県となった。(詳しくは註)

それ以来、沖縄はわが国の前哨となり、経済的には搾取され、文化的には侵略され続けた歴史を持つ。そして第二次大戦で、米軍の沖縄侵攻によって、沖縄は戦場となり実に日本側の死者・行方不明者は188,136人。沖縄県外出身の正規兵が65,908人、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人という被害を受けた。

かくほどの被害を受けた沖縄は、日本の敗戦によって米軍が駐留し、占領軍として琉球列島米国軍政府が1950年まで統治、その後、琉球政府が1952年(昭和27年)から1972年(昭和47年)まで、沖縄本島を中心に統治した。1972年(昭和47年)に沖縄県が日本に返還された際に消滅し、沖縄県や沖縄総合事務局(国の出先機関)などに移管された。琉球政府の行政府の長は、行政主席(英:C
hief Executive of the Government of the Ryukyu Islands)であった。

こうしてみると、沖縄(琉球)の歴史は、中国、日本、米国…と絶えず外部(外国)に従属し、またさせられてきた世替わりの歴史であった。琉球処分・廃藩置県後を俗に大和世と称し、これに対して中国の冊封時代は〈唐の世〉、戦後は〈アメリカ世〉であった。

そして今、沖縄は第二次ヤマト世ともいうべき時代に入っていると思える。沖縄には日本全体のアメリカ軍専用施設の約70%が集中し、沖縄本島の約15%を占めている。基地が存在することによっておこる被害も多い。最近東京の空に沖縄には日本全体のアメリカ軍専用の約70%が集中し、沖縄本島の約15%を占めている。
最近、米軍のヘリコプターが東京の空を低空飛行するという事態が起こっている。(https://bit.ly/31McfXs)

ヘリコプターが東京の空を我が物顔に飛ぶさまは 沖縄で常態化している戦闘機やヘリコプターの騒音等とは比べ物にならない。まさか日本全体が「アメリカ世」になったのではないかと危惧する。

註:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説では

 明治政府のもとでなされた沖縄に対する強行的な廃藩置県。政府は,明治5 (1872) 年に琉球国を廃して琉球藩とし,中央政府の管轄とした。 1875年には内務官僚松田道之を処分官として琉球に派遣し,中国との関係を廃絶することを要求するなど,政府の処分の方針を伝えた。政府のこの措置に対しては,地元の士族層を中心とする反対運動があったが,政府は軍隊と警官を差向けてそれを押え,79年3月,琉球藩を廃し,沖縄県を設置する旨通告した。旧国王は東京移住を命じられ,ここに琉球王国は約 500年にわたる歴史を閉じて,日本の一県として措定された。
 これに先立ち第二尚氏 3代目の尚真王代に,北は奄美群島から南は宮古諸島,八重山諸島までを版図とする琉球王国が確立。中国,朝鮮,東南アジア諸国および日本本土にまたがる中継貿易を活発に展開し(→琉球貿易),その収入で国力の充実をはかるとともに,先進的な制度,文物を取り入れて,国家としての形式と内容を整えていった。慶長14(1609)年には薩摩藩島津氏の侵略を受け,支配下に置かれたが,中国に対しては明,清両朝を通じて約 500年間,冊封・朝貢関係(→朝貢貿易)を続けた。1879年の琉球処分(廃藩置県)によって,正式に日本の近代的な版図のなかに組み込まれた。