現代時評《市長選悪用の桜を見る会》井上脩身

安倍晋三首相主催の「桜を見る会」をめぐる疑惑が晴れないまま、首相は闇のなかに葬りさる構えでいる。自民党一強でかつ首相の対抗馬がいないなか、なぜ私物化としかいいようのないほどに招待者を増やしたのか。たかが桜を見る会である。首相の後援会関係者たちは、招待されなかったところで、安倍支持の旗を降ろすはずがない。首相として毅然としているふりをすればいいではないか。私は釈然としなかった。ようやくナゾが解けたのは、裏に首相の地元事情がある、との報道だ。山口県下関市の激しい市長選で、安倍派候補を応援した支持者を優遇した、というのである。「トランプ大統領と対等に話し合える」と豪語する安倍首相だが、その実質は地方政治家レベルなのだ。

下関市長選の内実を明かしたのは1月26日付毎日新聞だ。記事によると、2017年3月12日に行われた同市長選に、3選を目指す現職、中尾友昭氏に対し、安倍首相の元秘書で下関市議だった新人、前田晋太郎氏が出馬した。

安倍首相の選挙区は下関市を中心とした衆院山口4区。同県選出の参院議員、林芳正元農相も地盤は下関市。したがって下関市は安倍、林両氏の地盤だ。共通の地盤のうえで、安倍派の前田氏が、林氏の系列である中尾氏に挑むという構造になった。

「安倍・林代理戦争」と呼ばれ、選挙前から同市内では保守を二分する熾烈な戦いが展開された。なかでも選挙2カ月前の同年1月9日に開かれた安倍首相の「新春の集い」での、首相の振る舞いが両陣営の対立を象徴していた。来賓として挨拶を終えたばかりの中尾市長の前で、安倍首相は前田氏を「市長候補予定者」として登壇させ、固い握手を交わしたのだ。「みんなどよめいた」と出席市議は振り返る。

選挙の結果、前田氏48,896票、中尾氏45,546票と、前田氏が3500票差で競り勝ち初当選。この得票数が激戦ぶりを如実に表していた。

当然しこりが残る。選挙後の同年6月の市議会代表質問で、林派の市議が「九州の建設業者が100人態勢で前田候補の名刺を持ってローラー作戦をした。(首相に近い)福岡市長や、昭恵夫人も再三来て、総理本人も要所要所に直接電話した。勝つためには何をしてもいいのか」と前田市長を追及。林派のやるかたない憤懣を安倍派市長にもろにぶつけた形だ。

中間派市議は「下関で安倍派に逆らうと生きていけない。ファシズムだ」ともらす。それは安倍派であればいい目にあうことを意味した。そのいい目のひとつが桜を見る会だった。

2014年から19年までの桜を見る会の招待者数は以下の通りだ(ウィキペディアより)。

14年=12800▽15年=13600▽16年=13600▽17年=13900▽18年=15900▽19年=15400

以上のデータから2018年に招待者数が急増していることは明らかだ。桜を見る会の参加者から聞き取り調査をしている市議は「前田市長を推したメンバーが桜を見る会と前夜祭に大量に招かれた」とみる。

私は30年前、三木武夫元首相と後藤田正晴元官房長官が対立した徳島県で、「三木・後藤田戦争」といわれる市長選や県議、市議、町村議選を取材した。三木派、後藤田派の運動員らによる札びらが飛び交う骨肉の争いに目を覆った。だが、三木氏、後藤田氏があからさまに対立をあおることは、私が知っている範囲ではなかった。三木氏も後藤田氏も今思えばさすがに大物政治家であった。

冒頭に述べたように、小派閥を率いて生き延びるのに四苦八苦した三木氏と違って、安倍首相は自民党内で安定した地盤の上に立っている。地元、下関市の市長選が気になるのはわからないではない。だからといって、「安倍か林か、初めて踏み絵を踏まされた」と市議たちが証言するほどに強引に手をつっこんで分断し、それを首相主催の桜を見る会に利用するというのでは、しょせんは小物政治家というほかない。

ここで小物とは、自分にすり寄って来る者だけを登用することをいう。検事長定年延長問題にみられるように、小物政治を国政上で行っているのだから深刻だ。しかもその小物政治家が憲政史上最長の首相なのである。この国自体が小物の国になったということであろうか。少なくとも政界が小物化したことはまぎれもない。この国の行く末について暗澹たる思いである。