映画・鉄道員とJR西:片山通夫
1999年と言うから、もう10年も前の映画に「鉄道員(ぽっぽや)」と言う映画があった。もうすぐ廃線になる北海道の小さな駅を守る定年直前の愚直な男(高倉健)が主人公の渋い作品だ。原作は浅田次郎。1997年の直木賞受賞作品を映画化したものだった。ストーリーは極簡単なストーリーだったと記憶している。不器用なまでもひたむきに鉄道マンとして生きる一人の男の物語である。心底、鉄道が好きなのだろう。それに加えて責任感の塊(かたまり)のような主人公だった。
話は変わるが、JR西が引き起こした2005年5月25日の尼崎の脱線事故の事故調査委員会から、あろうことか、報告書を入手していたことが明るみに出た。会社幹部の指示だそうである。また報告書の書き換えを依頼したとか・・。
まことに無責任極まりない。情報の入手先が、当該事故の事故調査委員会、委員が元国鉄のOBだという。
事故の直接的な原因は多々あると思われる。それら複数の原因が重なって、あのような大惨事を引き起こしたと言うことまでは筆者にも理解できる。しかしその後、昨今伝えられるような「あるまじき事件」を「性懲りもなく」引き起こしてるJR西の幹部はいったい何を考えているのか理解に苦しむ。
「刑(責任)を軽くしたいから早めに対策を」というような理由を挙げているようだが、それでも理解できない。現実に107人もの命が奪われた事故である。もう少し謙虚に、責任を全うすることが出来なかったのかと思う。これじゃ、亡くなった人も浮かばれまい。遺族も腹立たしい限りだろう。
筆者は子供の頃に「国鉄マン」と言う言葉を聞いたことがあった。国鉄マンはその言葉に誇りを持っていた。親子三代国鉄の職員だった家族も多かった。筆者の住む近所に、戦争から復員してきて国鉄の保線区に勤めていた人がいた。
この人の口癖は「おれは線路工夫だ」
そして「汽車が安全に走れるように線路を毎日見まわっているんだ」というような意味のことを話していた。
あるとき、大きな台風が来た。その人は、雨と、強くなり始めた風の中を出動した。幸いその台風時には大きな事故はなかったようだったが、今考えると、彼らの「安全に走らせる」という目的のために、命をかけていたのだと気がついた。
往時の国鉄マンは、映画「鉄道員」のように誇りを捨てなかった。
それが「一介の線路工夫」だったとしてもである。
いくら時代の流れ、立場の違い(会社幹部と一介の駅長・線路工夫)といっても、JR西の幹部からは鉄道マンの誇りを感じない。
民営化されたJR。そこには誇りは跡形もなく消え去り、効率のよい経済活動するだけの組織が残った。