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「フィデルのキューバ」その1

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【革命はパチャンガに乗って】 
大方の予想通り、フィデル・カストロは引退した。弟のラウル・カストロが彼の後継として指名されたことは周知のとおりである。何回かに分けて筆者が経験したキューバを紹介する。(写真 演説中のフィデル・カストロ 1969年ハバナ革命広場で筆者撮影)

 筆者がキューバで6カ月ほど暮らしたのは1969年のことである。だから最近のキューバの事情はまったくと言っていいほどわからない。ただ、最近のキューバへ旅行した人たちから話を聞く機会は何度もあった。
 話を聞いての印象は「変わっていないな」ということである。何がといわれると困るのだが、やはりアメリカの経済封鎖による生活物資の不足が大きい。それに、フィデル・カストロという巨人が君臨していること。
 どこの国でも、どんな体制であってもそうだが長期に渡って同じ人物や党が政権を担うということは、非常に危険をはらむ。つまり特権に胡坐をかいた腐敗である。キューバにもその傾向は見える。いや、世界の眼からは巧妙に隠されているのではないかという疑問は筆者にはいつもある。
 歴史的な事実やそれへの検証などはここでは避けて、筆者がキューバで見て、感じた事をここでは書いてみたい。何度も書くようだが、昨今の情報に全く疎いからである。

 筆者がハバナにいた1969年というと、キューバ革命が成功して10年目の年である。革命の痕跡はそこここに残っていた。そしてもちろんアメリカの経済封鎖が続いて、国内の経済は混とんとしていた時代である。現在もそうであるように物資は決定的に不足していた。しかしキューバ人たちの意気は盛んだった。何しろソ連という大国がバックに控えていたのである。ソ連をはじめとして東欧諸国を含むソ連圏の国々はこぞってフィデルのキューバを支援した時代である。
 カリブ海に浮かぶ小国が世界の耳目を集めたキューバ革命は、アメリカという大国ののど元に突きつけられた短剣、いや棘(とげ)だったのである。
 この「快挙」が世界を興奮させた。そして10年目、筆者の眼からみえたキューバはやはり言われているように「パチャンガのリズムに乗って行われた革命」だった。パチャンガはまさにキューバ革命のときにキューバで生まれたリズムであり、ニューヨークへも伝わり世界に広まった。一般のキューバ人にとってはまあそんなノリの革命だったかもしれない。
(3月24日に続く)