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コラム 「失ったもの」

  一眼見之 人尓戀良久 天霧之 零来雪之 可消所念
万葉集にある。
「一目見し、人に恋ふらく、天(あま)霧(ぎ)らし、降りくる雪の、消(け)ぬべく思ほゆ」とよむ。

 読んでわかるように「一目惚れ」の歌である。 「消え入りそうな雪のごとき人目惚れ」を実に美しく歌い上げている。そして清純という言葉がよく似合う。

  万葉の時代は「おおらかだった」という。そのせいか、他人の妻(夫)に恋する人も多かった。有名なところでは、中大兄皇子(後の天智天皇)・大海人皇子(後の天武天皇)の兄弟に愛されたという額田王。彼女と大海人皇子の歌がある。

あかねさす 紫野行き 標野行き
野守は見ずや 君が袖振る

紫の にほへる妹を 憎くあらば
人妻ゆゑに 我恋ひめやも

 今なら「皇室の不倫」とマスコミに叩かれる状況を歌に託してやり取りするというおおらかさが羨ましい。山本健吉・池田彌三郎両氏の「萬葉百歌」(中公新書)には「額田王が大海人皇子個人に向けて思いを伝えた歌でなく、宴などでおおやけに披露した歌と思われる」とある。

 現代の感覚から言えば、「万葉百歌」の説が「無理のない」解説と思える。しかしこの説では「おおらかさ」は少ない。宴の座興では夢も感じられない。冗談で済む。
 ここはやはり、草が生い茂る標野(しめの:しるしをした土地=禁野)が舞台であってほしい。そして野守(この場合現在の夫・天智天皇かもしれない)に見つからないか心配している様を想像するのも楽しい。

 一方、昔の夫(もしくは恋人・大海人皇子)が返す歌にも色が感じられる。「紫のにほへる妹」とは言いえて妙である。

 万葉集にはこのような高貴な(やんごとなき)人々の歌だけでなく、防人に赴いた人々の歌も多くある。

一例をあげる。

小竹(ささ)が葉の、さやく霜夜に、七重かる、衣に益せる、子ろが膚はも
 (寒い夜は重ね着して寒さを防ぐがそれに勝る暖かい愛する人の肌を思い出す)

 筆者は今電車に乗っている。車内放送が「携帯電話の取り扱い」、「危険物の持ち込み禁止」をがなりたて、向かいに座っている女性は化粧の真っ最中、むこうのドアの前では若者がへたり込んでいる世界。万葉の時代のおおらかさと初々しさを日本人はいつのまにか失ってしまった。

 「時代が違う」と言う声が聞こえてくる。しかしそれだけでは説明がつかないと思うのだが・・・。