« 2007年07月 | メイン | 2007年09月 »

2007年08月31日

アフガン韓国人人質事件

 43日経ってようやくタリバンに拉致された韓国人人質事件は2人の犠牲者を出したが解決した。関係者はほっとしたことだろう。思い起こすのはイラクで起こった日本人人質事件だ。

  ひとつのサイト(Academia e-Network Project)を紹介しよう。

 「イラクで人質になった方々への敬意表明と激励の緊急アピール」 と題した署名活動のサイトがある。

そこには、

(前略)政府、一部マスコミの間で、これらの方々の「自己責任」を追求する意見が声高に叫ばれています。(中略) そもそも、5人は戦禍のイラクの悲惨な実態を世界に伝えるために、また、戦争・貧困・環境破壊に苦しむ人々を支援するためにイラク入りしたのです。フランスのルモンド紙は、人質となった方々のことを「犠牲となっている人々に手を差しのべた」、「戦争、暴力、非寛容を拒否する思想の伝達者である」と報じました。 アメリカのパウエル国務長官も、「危険を知りながら、良い目的のためにイラクに入った市民がいることを日本人は誇りに思うべきだ。」「『危険をおかしてしまったあなたがたの過ちだ』などと言うべきではない」と語っています。(後略)

 それでは韓国では今何が起こっているか、知り合いの韓国人ジャーナリストに現在の韓国社会の反応を聞いてみた。
 彼は一口で言うとと前置きして「無論既にバッシングも起こっています。税金の無駄使いだ。自己責任だ。しかし、それはネット上のことで、一般的には冷静な眼で事件を見ているし、二人の犠牲を出したが、何とか大多数が無事でよかったと考えている」と話す。

 そこで韓国のサイトでアンケートの結果を送ってもらった。

2007.8.31.13時現在のempas.comサイトの調査。


1)国基督教総連合会と世界宣教協議会など国内宣教団体関係者によるアフガン拉致事件事後処理実務会議で、関係者らは今後も純粋な奉仕程度の小規模宣教活動は続けると言った。貴方はこれをどう思うか。
  838人のうち、74%が反対と回答

2)はたして韓国政府は人質釈放のためにお金を払っていると思うか。
 372人のうち、96%が払っていると思うと回答

SBS放送サイトを覗いてみると

1)政府は人質釈放のために費やした費用を本人や派遣機関(教会)に請求すると明らかにした。請求すべきかどうか。

87人中76%が請求すべきだと答えた。

 このように、韓国の世論は、無謀ともいえる宣教活動に対して批判的な意見が多い。
また保守系新聞大手の朝鮮日報の社説は次のように説く。
「韓国にはプロテスタント、カトリック、仏教、イスラム教などの世界の主要な宗教や民族的な信仰など、無数の宗教が混在しているが、それらの間で深刻な衝突が起きたことはなかった。しかしそうした状況は、世界的に見ると非常にまれなケースだといえる。今世界では、レバノンやイスラエル、イラクなど、宗教や宗派の対立によって国が荒廃したり、1度に数十人・数百人の人命が失われるようなテロが頻発したりしている国は少なくない。そしてアフガニスタンもまた、その代表的な例だ。(中略)教会側は、国が被った外交上の不利益や経済的・物質的な損失、また国民が被った精神的な被害を無駄にしないためにも、今回の事態を今後同様な事件の再発を防ぐためのきっかけとすべきだ」
 社説では無謀な活動(それが純粋に人道的なものであっても)は無謀だと説いていると、件のジャーナリストは言う。
 
 今日31日の朝日新聞に「韓国内に自己責任論」と言う記事が掲載された。ネット上では「費用請求しろ」と書き込みが多いという。
 この面から見ればネット特有の無記名の無責任意見ともいえるようだ。イラクでの日本人ケースと同じようなことが既にネット上で起こっている。

 しかし、先に述べたように一般的には「冷静な眼」で事件を見ているような印象を受ける。今後、人質になった人たちが帰国した時にどのような反応が韓国社会で起こるのか注目したい。

Yuzhno-Sakhalinsk Today's weather (070831)

070831.JPG
8月31日のユジノサハリンスクの気温です。
Day    +20℃
Evening  +15℃

Korean News Paper (PDF)  31.8.2007 セコリョ新聞

se_koryoS.jpg
ユジノサハリンスクで発行のセコリョ新聞2007/8/31号をお届けします。
GO

2007年08月30日

Yuzhno-Sakhalinsk Today's weather (070830)

070830.jpg

8月30日のユジノサハリンスクの気温です。
Day    +19℃
Evening  +15℃

2007年08月27日

セコリョ新聞 日本語版 2007年8月24日号

se_koryoS.jpg 

 ロシア・サハリン州ユジノサハリンスクで発行されているサハリン韓人のための韓国語新聞「セコリョ」(毎週金曜日発行)日本語翻訳版をお届けします。
日本語翻訳版
原文(韓国語)はこちらへ

2007年08月25日

コラム「つつましい希望と三船殉難」

 「日本の最も長い日」8月15日から一週間が経った1945年8月22日。北海道樺太から引揚げの輸送船3隻が相次いで遭難した事件があった。この遭難事故で1700人を超える死者・行方不明者を出した。いわゆる「三船殉難事件」である。

070718sakhalinpaper.jpg

 樺太(サハリン)の大泊(コルサコフ)から小樽に航行中の泰東丸など三隻を攻撃したのは、旧ソ連太平洋艦隊所属の潜水艦L19号と、僚艦L12号だったと見られているが、ロシア側は現在もこれを認めていない。

 筆者がこのほどサハリンで入手した新聞「ソビエツキー・サハリン」(2007年7月18日付・写真)に興味深い記事が掲載されていたので少し長いが引用して文末に掲載する。

 この記事から見ると留萌沖で引揚船を攻撃したのは明らかに、旧ソ連の潜水艦である。またこの攻撃はスターリンの野望・北海道上陸・占領(サハリン南部(旧樺太)や、我国固有の領土としているいわゆる北方領土のみでなく)のステップだったことがわかる。
しかしアメリカの確固たる反対によってスターリンは北海道分割統治の野望を捨てたということか。それにしても「米ソによる北海道分断統治」とは、なんとも「つつましい希望」であることか。

 ソビエツキ-・サハリン紙の記事ではこの潜水艦L19号が「最後の通信」を絶ってから行方不明になり、現在もまだその所在が不明だと報じている。そして、同じように宗谷海峡で沈んだままの米潜水艦やL19号などを追悼する式典が今年7月8日に開催された。また「コノネンコ艦長には、その後、祖国戦争第一級栄誉勲章が授与され、乗組員にも第一級、および第二級の勲章が授与された」と記事は結んでいる。


「ソビエツキー・サハリン」(2007年7月18日付・要約)

サハリン州公文書館から提供された資料に次のような事実が確認された。

 L19の沈没は、1945年8月に日本海戦で起きたもっとも大きな痛手であった。この船の乗組員についての情報はきわめて限られている。 内外の資料に当たっても、お互いに食い違った情報ばかりだ。分かっていることは、潜水艦L19(コノネンコ艦長)がL12(シェルガンツェフ艦長)と共に北海道の北東、留萌港の付近で軍務に従事していたことである。
スターリンは1945年8月16日付のアメリカ大統領トルーマンに対する書簡で「つつましい希望」として、ソ連軍が北海道の北半分を欲しいこと、東岸にある釧路と西岸にある留萌の間で線引きするのが「民主的な方法」であろうと書いている。
この「希望」にそって、極東地区最高軍事司令部は、南サハリンの掌握にひき続いてすぐ、つまり8月22日、23日に北海道にも上陸する計画を立てた。
 この計画に基づいて、所属する第1潜水艦隊に次のような命令(OP00455令の一部))が下された。

命令:任務は次のようなものである。
占領軍を留萌港に送る。情報収集と物資運搬の護衛の目的で、2隻のL型潜水艦を派遣する。その任務は
A 1945年8月23日21時までに留萌港にちかづく船の情報収集
B 8月23日21時からは敵の殲滅と状況報告
作戦中に遭遇した敵の船はすべてを殲滅すること。作戦はすべてまかせる。

8月22日4時55分、留萌港近辺で、第二新興丸を攻撃。船が壊れたにも関わらず、乗組員は船を岸までつけて、そこの浅瀬で放棄した。だが、第二新興丸に乗っていた南サハリンからの引揚げ者553名が攻撃の最中に死亡。
5時16分、L19のコノネンコ艦長は新たなターゲットである泰東丸を発見。潜水の状態でその後を追い、100mm砲で攻撃、留萌沖6マイルの地点で撃沈した。乗船していた780人は全員死亡。
潜水艦L12は留萌付近で小笠原丸を撃沈。・・・・。

 翌8月23日、日本政府はA・ワシリエフスキー元帥に、潜水艦による攻撃を止めるように請願した。チャバネンコ将軍は無線で潜水艦に、攻撃を止め、情報収集だけに従事するように指令。だが、北海道近辺における攻撃の中止の主な理由は、ソビエト軍中枢の方針変更のためであった。アメリカ軍が北海道の北半分をソ連の占領に任せることを拒否したため、8月22日14:55分にワシリエフスキー元帥は、クズネツォフ、ユマシェフ両提督に「サハリン駐屯の我が軍の北海道における攻撃を控えるべし」というスターリンの指令を伝えた。
8月23日、チャバネンコはL19に電報をうち、アニワ湾に赴いてそこで情報収集をせよとの命令をだした。
同日14:20L19から参謀本部にこの艦から最後の通信が入った。「10.32 4513C、D-140 00 B(注:場所を示す数字) PLが攻撃された。19:00海峡の強行突破を開始する」

2007年08月20日

サハリン点描

 サハリンからのレポート「サハリン点描」を紹介します。これはジャーナリスト・ネットに掲載したものです。

サハリン点描「牛乳売り]

サハリン点描「カレーライス」

サハリン点描「サハリン韓人の死」

サハリン点描「カニは売れる」

サハリン点描「ダーチャにて」