時代の渦に流される!
国会が終盤を迎えている。圧倒的多数の自民・公明の与党は、次々と戦後果たしえなかった「保守党の夢」である様々な法案を可決成立してゆく。政治評論家本澤二郎氏が20日にジャーナリスト・ネットへ寄稿された「日本政治の危機的衰退(自公暴走と民共社無力)」で「八百長質問を見る」思いだと断定されていた。
▲本澤氏は同じ記事中で「安倍・復古主義法案がこんな調子ですいすいと成立してしまう日本の国会」に危機感を持たれている。筆者も同感である。緊迫感がないのだ。安部首相の高笑いが聞こえてきそうな国会である。これは一体どうしたことなのか。
▲「爆弾質問をせよ」とは思わない。ただ政府側が緊張するような鋭い質問を発してほしいものだ。これでは国会議員に付与された国政調査権が泣く。本澤氏が書くように筆者にもまるで八百長国会という印象を受ける。能登沖地震のような災害のときは「票が大事なのかどうかはともかく」実に迅速に対処する政府となった。(無論これはこれで重要な問題であるが)
▲最近、国民皆が「時代の渦」に流されているように思えるのは筆者だけか。教育問題、沖縄の米軍基地問題、地域格差、医師の不足にはじまる医療危機、環境問題、憲法改正問題など枚挙に暇がない。そうだ、拉致問題にもその傾向が見られる。
▲国民が冷静な目で眺めているようには思えないのだ。つまり、マスコミ、政府高官、政治家などの言動に左右されているのではないか。国民が冷静に判断すればもっと簡単に解決するはずの問題(それは必ずしも政府の思うとおりではないかもしれない)が、冷静な目で見られないほど情報が錯綜し国民が踊らされている。例えば、北朝鮮による拉致問題。相当深刻な問題ではある。だから北朝鮮に解決を即する政府の姿勢はうなずけるし、国民の相当数がこの姿勢を支持していることも筆者も同感である。
▲しかし、我々を取り巻く問題は拉致問題だけではない。だから「安部政権のなすすべてがOK」という姿勢にはうなずけない。それは先の小泉政権の郵政民営化問題に見られる現象と同じである。郵政民営化にイエスかノーかを問うた選挙で自民党は圧勝した。ところがその時の圧勝で得た数を頼んで現在の国会運営がなされているところに問題がある。国民はだからすべてを現在の安部政権にゆだねたわけではないだろうと思うのだが。
▲政治がパフォーマンス化(=劇場化)して久しい。劇場の観客に国民がなりきってはいけないのだ。時にはブーイングも必要である。華やかな舞台衣装と声高で勇ましい政治家の発言に惑わされてはいけない。興奮の渦の中で流されてはいけない。それではまるで「ヒットラーを生んだドイツ国民」であり、「お仕着せの拍手を強いられている北朝鮮の人民」ではないか。