サハリン物語(Web版)ヴァーリャの半生
韓国って国あるの?
モスクワまで行ってそこで乗り換えて、プラハへ到着。初めての海外旅行でとてもウキウキしていた。不安もあったが、チェコはロシア語が通じるし、チェコの言葉だってロシア語に似ているから言葉の心配はなかった。
でも、初めての海外旅行で大変ショックを受ける出来事があった。
ある日市内の朝鮮食堂で夕食をしていた。そうしたら、髪の毛の黒い人四人が入ってきて、隣のテーブルに座った。ちらちら見ながら会話を聞いてみたら朝鮮語だった。嬉しくて。
「朝鮮から来られましたか?」と声を掛けた。そうしたら「いいえ、韓国からです」とその人たちは答えた。韓国ってどこ? そんな国の名前聞いたことないと思って聞いてみたら、南朝鮮のことだった。生まれて初めて聞いた。韓国という国名に変わってるって。ルーマニアの自動車工場で働いているが旅行に来たと言っていた。
身なりなどを見ると全然貧しい格好ではなかった。海外に出る人々だから良い身なりをさせるのかなと思った。しかし、色々聞いてみたら私たちの聞いていた南朝鮮とは全然違う話ばかりだ。自由の国で、高いビールもあり、自動車もたくさんたくさん走っている、と。
半信半擬で何かなんだか頭が混乱するばかりだった。
しかし、今まで私たちは騙されてきたと言うことに気がつくまで長い時間はかからなかった。1988年ソウルオリンピックのとき、真実は明らかになった。皆驚いて空いた口が塞がらなかった。以前、南からのラジオ放送を聞いて、お父さんが「今年、南は豊作で米が余っているんだって」とか言うと、宣伝だと思った。嘘を言っていると思って全く耳を貸さなかった。
騙されていたのは私たちだけではなかった。ロシア人も同じだ。資本主義社会南朝鮮はアメリカの支配の下で苦しい生活を余儀なくされていて、街には乞食や餓死していく人でいっぱいだと聞かされて、彼らもそう信じていたのだ。しかし、オリンピックを開催できる国で、その発展ぶりをテレビやラジオで見たり、聞いては、サハリンに住む朝鮮人に対する認識が180度変わってしまった。「朝鮮人に習え!」という言葉を口にするまでになったのだ。
ソウルオリンピックが大きな契機
私にとって、ペレストロイカを最も身近なものに感じたことは、やはりロシアと韓国との関係においてです。
88年9月17日から10月2日までのソウルオリンピックを契機にサハリンの朝鮮人と祖国との距離は縮んで行った。ソ連代表としてソウルを訪問した人の中には朝鮮人がおり、彼らが帰って来たときの話などを聞いて私たちはまるで深い眠りから目が覚めるような気分だった。
この年の12月、サハリンで初めて朝鮮人会ができた。それが今の離散家族会だ。88年にサハリンや大陸から134人が韓国を訪問し家族と再会したそうだ。
その翌年1989年4月に韓国の離散家族会がサハリンを訪問して、ユジノサハリンスク、ホルムスク、コルサコフで集会を開いた。そして、延べ2000人近くが参加した。そして、日本で肉親と再会したり、日本経由で韓国の故郷を訪問した人たちが出始めた。9月には「世界韓民族体育会」(9月25日から10月4日)が韓国で開かれ、サハリンから一世40人が招待されて行って来た。当時は韓国への直行便が飛んでいなかったから、国内便でハバロフスクまで行って、そこからチャーター便、大韓航空でソウルへ行ったのです。
それから10月には韓国から初めて離散家族30人がここを訪れた。1週間くらい滞在して帰った。1990年は日本の植民地から解放されて45年になる年で、韓国から芸能人の団体が来た。そのとき、もちろん離散家族も一緒に来た。
そしてとうとう1990年10月にはロシアと韓国との間に国交が樹立した。
そして、その間いろんな噂が広がりつつあった。日本政府から補償金が出るとか、昔の貯金を返してもらえるとか、そして、すぐ祖国に帰れるとか。