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サハリン物語(Web版)ヴァーリャの半生

信じられるのは朝鮮人だけ

 私にもロシア人の友達はたくさんいます。学校の友達、会社の同僚。しかし、心を打ち明けて付き合えるのは、やはり朝鮮人だけです。ロシア人は信頼できない。その場限りの付き合いで終わり。だからどんなに長い知合いでも家に行き来する友達は朝鮮人ばかり。ここの2世は皆韓国語を話せる。片言でも。それに文字も読むことができる。朝鮮学校を出た者も多いから。家で、親がロシア語を話せなくて、全部朝鮮語だったから、日常会話は大して問題ない。外では勿論ロシア語を話す。でも、同じ民族の友達だと、なぜか朝鮮語混じりのロシア語になってしまうのです。

自然に身に付き、全く使い道もなかった朝鮮語が最近は、親に感謝するくらい話せて助かる思いをしている。韓国との国交が回復してから、自由に行き来するようになった。そして、自由経済になって、韓国とのビジネスが多くなった。
 そうすると言葉の話せる人が有利になり、チャンスを掴む機会も多くなるわけです。実際、私もそんな中の一人です。

 しかし、韓国に行って思わぬことを教えてもらった。私たち2世の言葉が今の韓国で使う言葉とは相当違うということです。
 勿論、標準語なんて誰も話せない。だって、親から耳で習って、その親が方言ばかりなのに。特にここは慶尚道出身が多いから、殆どの人がその地方の方言を話す。それは前から感じていたが、実はまだ2つくらい大きい違いがあるそうです。
 ひとつ目は、北朝鮮のイントネーションで、そっちの言葉がかなり多いという。言われてみりゃ、朝鮮学校って、北朝鮮が建てた学校だもの。もう一つ、日本語の多いことを指摘された。それは全く驚きだった。今まで朝鮮語だとばかり思って使ってきた言葉が日本語だなんて。民族の言葉を捨てて、日本語を強制的に話す時代を何十年も生きている間にすっかり日本語の世界に染まってしまったんだろうね。思い出せば、おじさんたちはお互いを日本名で呼び合っていた。松村、金田、金山等など。今でも日本語のできる人が大勢いるのです。ここサハリンには。

今は役立つ朝鮮語

 うちの夫だって、少しは分かる。義理の兄さんはかなりしゃべれる。小さいときに帰国に遅れた日本人の男性と同居したことがあり、そのとき、親は彼のことを気にして家では日本語を話していたらしい。そのとき覚えた日本語が40年近く経った今も残っている。言葉一つにしても、日本の影響は大きかったことがよく分かる。

 1945年以前、ここで生まれた人の場合、日本語が母国語だ。だから、今でも日本語を忘れていないおじさん、おばさんもけっこう多い。その人たちは朝鮮語より日本語の方がはるかに上手だった。そんな人たちは朝鮮人でありながら日本にもっと親しみを持っているかのように見える。終戦まで日本人になりきって生活していた家も多いし、昔の結婚写真を見るとここで学校教育を受けた人の中では日本の花嫁姿の人もいた。そして、家族も日本の着物を着ていて、朝鮮の服を着ている人は一人もいなかった。もちろん、少数はあったとは思うが。親方をやっていた朝鮮人家族や日本の会社に勤めていたエリート階級がそうだったみたい。

 今と違って、当時は家族で来ている朝鮮人は少ないから子どもも少なかったのでしょう。殆どが日本人学生で朝鮮人は珍しいくらいだった。だから、皆日本名を名乗り、日本人のように振る舞ったそうです。そんな人たちは戦争が終わってから朝鮮語を習ったから、それは外国語と同じなのです。やはり日本語の方がはるかに親しみがあり、しゃべるときも楽でしょう。