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サハリン物語(Web版)ヴァーリャの半生

ヴァーリャの新婚時代―就職そしてコルサコフでの生活

 結婚式をあげて3年目にコルサコフに新居を作って、ハバロフスクから呼び寄せた夫は地元の電気工事会社に就職し、私は魚の加工工場に就職した。
 コルサコフは魚の加工業が盛んで、薫製や缶詰工場が数多くあった。そして、市内から少々離れた所にはサケの養殖場も多数あった。

  仕事は大して難しいことはなかった。だって、ここでは1日8時間を職場で過ごせば、それさえ守れば毎月給料は貰える。だから、ゆっくりお喋りをしながら、退社時間を待つ。
 独身のときは、それから少し化粧直しをして踊りに行ったりしたが、今は子どもを迎えに行かなきゃ行けない。

 近くに夫の両親と兄弟が住んでいるので全然淋しくない。夫の家もうちと同じように強制連行でここに連れて来られた家です。義父の後を追って義母もサハリンに来た。そして、ここで4人の息子を産んで育てた。夫は3番目。長男は結婚して遠くの町に住んでいるが、他の兄弟は皆この近くに住んでいる。

 ここコルサコフにも朝鮮人の集落があります。私の生まれ育ったオオタニと同じ暮らし。朝鮮民族の住んでいる所はどこに行っても一緒なの。
 休みの日は夫の親しい友達と一緒に遊んだりした。オオタニのときと変わらぬ生活が続いた。こうしているうちに次男が生まれ、家族4人幸せな日々を送っていた。しかし、一つだけ大変なことがあった。生活必需品を手に入れることだ。子どもにもう少し良い服を着させたい、もう少し良い物を食べさせたいと思うが、それはお金があっても買えなかった。ものが回ってこない。仕事の帰りはいつも店の前で並んで待つ。1時間や2時間は普通だった。

 子どもにミルクを飲ませる時間やお腹空かせて私の帰りを首長くして待っているだろうとイライラしながら、夏も冬も外で待った。でも食物はそんなに不自由しなかった。果物や野菜などはお姑さんが作ったものを貰っていた。そして、夫の友達が食品の運搬の仕事をしていたので、「横流し」してくれて好きなだけ買って食べた。その友達はこの町の朝鮮人の中で一番お金持ちの長男だった。彼のお母さんはとてもお人好しで遊びに行くといつも笑顔で一生懸命ご馳走してくれようとする。いつものことだがこっちが申し訳ないと思う。そのおばさんは桟橋近くのバザールで野菜や漬物などを売っていました。ご主人と一緒に作った野菜を売っているのです。ご主人も評判がよくてお酒も飲まず、口数も少なくてとても良い人だ。

同胞のおばさん

 しかし、このご主人も少し前まではうちに父と変わらぬ人だったらしい。
 このおじさんは、他の人に比べると比較的早い時期にこのサハリンに来たそうです。故郷は忠清北道、ボウンというところ。
「父さんには向こうに息子が一人いるの。前妻が他のところに逃げてしまったのだって、子どもを置いて。夫が3年も帰ってこないから。私は独身だと騙されて結婚したのよ。」
 そのおばさんの話はいつもそんな調子なのです。
「20里しか離れていなかったのに、それを知らなかったの。見合い結婚だったけど、紹介した人が騙したの。急いで結婚したからね」
 こともなげにおばさんは笑う。

「当時、婚前の若い女にも徴用があって、南洋諸島に送り込まれていたの。それで親が徴用を逃れるために急いで結婚させたの、親が勝手に話を決めてしまったの」
「結婚してからお父さんはまたここに戻ったの。私はお父さんを連れ戻すつもりできたが、帰国の道が閉ざされて今までここで暮らすようになったの。向こうにいられないんだよ、国へ戻って来たらすぐ徴用があって。もし、ここに来なかったらきっと南洋諸島に送られたに違いない。ここに戻ってきて半月休んでサハリンに戻った。戻って3日目にまた徴用があったの、南洋諸島に行け、と。ここに戻ってきたから南洋諸島に行かずに済んだのよ。私の代わりに兄が行かされる羽目になって、戦争が終わるまで1年間くらい逃げ回ったんです。そのときは朝鮮では暮せなかったのよ。行かせてくれないのよ、日本人が。だからどうせ行くなら一緒のところがいいと、ここに来たわけよ」
「そのときはね、朝鮮に箸一本、スプーン一個もなかったんだよ、米やら何やら皆持って行かれて。鉄でできた物なら何でも持っていった。木で作ったスプーンで御飯を食べていた」