サハリン物語(Web版)ヴァーリャの半生
北朝鮮の宣伝
祖国があまりにも恋しいゆえに、北朝鮮の国籍を取った人もかなりいます。
私が小学校に入る以前からの話ですが、一時期、伝染病のように北朝鮮籍を取る人が増えてきた。ロシア国籍を取らずに無国籍のままで居続けた人の殆どがそうだったかも知れない。実際、うちもその一人だったから。
ロシアは同じ社会主義国家、北朝鮮とは国交があった。出稼ぎの人を送って来たりもしていた。朝鮮戦争が終わってからすぐにハバロフスクに北朝鮮の領事館ができた。彼らは朝鮮学校を支援し、「心清伝」「春香伝」のような古典映画を持ってきては、巡回上映しながら、宣伝に走ったのです。
そして、帰国を望んでいる人たちにこう言った。「南と北はすぐ統一される。先に北に帰国して待っていたらどうか。同じ民族で元々は一つの国じゃないか。北も南も祖国であることには違いないじゃないか。それに、今すぐ帰れないのなら、子どもを北朝鮮に留学させなさい。ここでは差別されるが、祖国に来たら金日成大学で勉強できるから」。
こんな宣伝に騙されて多くの人が北に帰り、また子どもを留学させた。しかし、行ってみると話は全然違っていた。全く自由がなく、ロシアよりひどい共産独裁国であった。それに文句を言うと刑務所送りだった。
勉強に行った若者も一緒。1日24時間監視されて、自由に好きな所に行くことさえも許されない。そして「ピョンヤンの金日成大学に入れる」との約束は、元山等の地方の大学に強制的に入れてしまうのだった。自由に手紙のやり取りもできない。もちろん書いた物はすべて検閲される。
帰国の夢
ロシアで共産主義社会を経験してきた人たちだから、ある程度のことは覚悟をしていたが、もれ聞こえくる話では人間の住む所ではないのです。死を覚悟して国境を越えてサハリンに帰ってきた人たちは、北へ帰ろうとする人がいれば涙で止めていたそうです。
うちの両親も60年に北朝鮮籍を取って様子を見ていたが、結局諦めてしまいました。私が小学校低学年のときは兄さんが北朝鮮に勉強しにいった子も多く、自分も勉強を頑張ってそこの大学に入るんだと思う友達も多かった。「北朝鮮への帰国」という流行病が通り過ぎてからしばらく人々は黙って今までどおり時を待つ日々が続いた。
しかし、北朝鮮で行方のわからなくなった100人の子どもの親たちは今まで以上に苦しい日々をおくるようになった。そして、親戚が向こうに行ったきり、帰って来ることのできなくなった人々もたくさんできたのです。こうして朝鮮人社会にもう一つ悲劇が増えた。しかし、悲劇はこれで終わったわけじゃなかった。誰も予想もしなかった、以前よりもっと苦しい日々が待っていた。