サハリン物語(Web版)ヴァーリャの半生
下りない許可
国籍問題で家族皆が大泣きした事件があった。姉の大学入試のときです。姉は遊び好きの私とは違って、大人しくて真面目で、成績はいつもクラスで一番だった。家族の誇りだった。そんな姉を親は大陸の看護大学としては超一流の大学に入れようとした。本人もそのつもりでがんばった。願書は郵便で出しておいて、試験を受けに行く用意をしていた。当然、警察に許可願いを出して。しかし、試験日がどんどん近づくのに許可証が下りない。あせって様子を聞きに行くと「待ちなさい!」の一言。待つしかなかった。
しばらく両親と姉は針のむしろに座っているように、いらいらしていた。うちがあんなに静かだったのはそれが最初で最後ではないかな。結局試験の日が明日に近づいた。もう駄目だ。まず、母が泣き始めた。ずっと我慢していた姉もそれに連れて泣き出した。母に抱かれてわんわんと泣くんです。そして父まで。それを見ていた私たち兄弟も皆泣き出しました。
「嗚呼、私たち、親のせいで、私のせいで」
姉は結局行きたい大学を諦めて、近くの医療専門大学に入学した。
それがロシア国籍を持ってないとどうなるかを骨に染みるほど分かった最初の事件だった。この事件後、私はすっかり学校の勉強には疎遠になってしまった。成績がよくても良い大学には行けないと分かったから。
私は高校を卒業して地元の会社に就職し、一時期はイルクーツクに働きにいって3年ほどして帰ってきた。そこはあまりにも寒さが厳しくて長くいられなかった。
祖国は私たちを忘れた。
帰ってきてホッとした。周りには同じ黒い髪の朝鮮人がたくさんいて、毎日キムチが食べられる。サハリンの朝鮮人は全く同化しない民族です。特に食べ物に関しては。毎日3食御飯、それもキムチ付の。それは親の影響でしょう。親はここでも朝鮮での生活と変わらない日々を送っている。朝鮮人と一緒に働き、朝鮮人と付き合う。ロシア人とは仕事で顔を会わせるくらいの浅い付き合いしかない。自然にそうなる。だってまともな会話ができないもの。日本時代には日本語がわからなくて苦労し、殴られた。今度はロシア語がわからないということで仕事場で馬鹿にされ軽蔑される訳です。
一生懸命働いて業績を上げても正当に評価されない。皆、ロシア人のやったとことになる。給料だって彼らの半分も貰えない。父がお酒を飲み、やたらに怒ったりしていたわけを自分が働いてみて初めて理解できた。
そんな親を見てきたから私たち2世もロシア人と本当の友達にはなかなかなれなかった。
だから、家に出入りする知合いは皆朝鮮の人たちです。しかし、ソ連時代には隠れて行き来していた。ロシア国籍を取らずにいる私たちを警察はいつも監視していた。言わば思想的に問題がある連中だと見られていたのです。だから、大人は道端で朝鮮人の知合いに会っても、お互いが目も合わせずに避けて通り過ぎた。そして、警察の目を盗んで夜密かに集って、息を殺して韓国放送のラジオを聞いた。うちの父もよく夜密かに出かけたりしていた。それからはお酒を飲んで酔って帰ってくるのだった。機嫌を悪くして。
そうして、母にこう言う。
「祖国はもう私たちのことは忘れているんだ。ここに朝鮮人がいるということさえわかってないんだよ、畜生! もう帰れないんだから、お前も諦めろ!」
ところが、そう言っておいては次の夜、またラジオの持っているおじさんの家に行くのだった。