サハリン物語(Web版)ヴァーリャの半生
ヴァーリャはこのような時代に学校教育を受けていた。
朝鮮人の子どもは一生懸命勉強して、成績も皆よかった。しかし、優等生の賞状を貰う子は少なかった。ロシア人の嫉妬があったのです。成績は5段階に評価される。私もよく勉強のできる子だった。でも科目の中で必ず5点満点をもらえない科目があった。それは国語です。
先生としても、ロシア人よりロシア語のできる外国人がいると面目が立たないということだったのでしょう。だからいつも一貫して朝鮮人には得点から一定の点を引いてしまう。悔しかった。それに親には叱られた。そのようなことを言っても口実だと言われるばかり。当時はそれが悔しくて泣いたこともありました。
しかし、今になって考えてみると、親は分かっていながらわざとそう言っていたような気がします。もっと、がんばりなさい。ここはロシア人の国だから彼らよりもっとがんばらなければいけないという親心だったかも知れない。
兄弟仲良く貧しかったけど、わいわい楽しい少女時代を過ごした。母も大好きだった。ロシア語がしゃべれず、朝鮮人社会から一歩も出られない母だった。でも朝から晩までじっと家にいる母の姿は見たことがない。本当に働き者だった。いつも朝鮮の服を着ていた。でもそれは可笑しくなかった。この村ではそれが当たり前だったから。母は父に口ごたえもできない人だった。ロシアの地に住んでいても、朝鮮の女性、そのままだったの。
酔ってアリランを唄う
父はあまり好きではなかった。お酒が好きな人で、なにか気に入らないとすぐ手が出る人だった。お膳をひっくり返したりした。子どもたちに手を出すことは滅多になかったが、母にはよく暴力を振るっていた。今思うとどうして止めなかったかなと思うけど当時は恐かった。父には逆らうことができなかった。そんな存在だった。
しかし、これはうちだけの話じゃない。周りの朝鮮人の家庭はたいていそう変わらなかった。当時のわれわれのお母さんたちは本当に可哀想だった。幼いときはそんな父が大嫌いだった。どうして酒ばかり飲んで、家にお金もちゃんと入れてくれないくせに暴力まで振るうのか理解できなかった。しかし、そんな父がとても可哀想に見えるときもあった。酔ってアリランを唄い、涙を流しながら眠っていくときです。
そんな夜には決まって、母が夜中まで起きていた。私たちの古着を直したり、バザールで売りに出す野菜の手入れを丁寧にやり直したりしていた。だから、父が帰ってくるのが恐かった。また、家の雰囲気が重苦しくなると分かっているから。
そう、私たちには国籍がなかったの。
ある日、いつもなら父に向かって口ごたえすらできない母が唯一、怒って叫んだときがあった。国籍問題が出てきたときです。父は「もう祖国には帰れないんだから、子どもたちの将来を考えてロシア国籍を取ろう」と時々言っていた。そうすると、母は「ロシア国籍を取ると、もう私たちは朝鮮には帰れなくなるのよ。お母さんにも、妹にももう二度と会えなくなるんだよ。そんなのだめ。私は帰る、いつかは帰る。子どもたちも皆連れて祖国に帰るから。どうしてもというならあなただけ好きにして」。まるで、子どものように暴れて泣く。
そうすると父は「もうオレは知らない、どうなっても!」と言いながら家を飛び出す。そして、ベロンベロンに酔って近所のおじさんに背負われて帰ってくる。そう、私たちには国籍がなかったの。