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サハリン物語(Web版)ヴァーリャの半生

 ヴァーリャの話に出てくる朝鮮人の夫を持つ日本人の女性たちはソ連時代、密やかに生きてきた。そんな女性たちにもインタビューを試みた。日本人妻たちも自分たち自身の永住帰国問題で心を悩ませていた。

朝鮮人の夫を持つ日本人の女性たち 

近藤高子さん 1931年サハリン生まれ。祖父母は四国出身、両親は知らない。女学校2年のとき樺太のマカロで終戦を迎え、9歳年上の朝鮮人男性と結婚。1949年長女を産む。1969年ご主人死亡。再婚の相手である朝鮮男性も1976年に亡くなる。全く朝鮮人と変わらぬ朝鮮語を話す。現在息子1人、娘が5人。

植松菊枝さん(韓国名 金菊子)
 1929年サハリン(旧豊原生まれ。1人子連れの朝鮮人男性を好きになって23才のとき結婚、夫は沿海州からサハリンに渡ってきた北朝鮮出身者。学識のある体の弱い人だった。1972年52才で亡くなった。子ども5人。夫がなくなってからソホーズで仕事を始め、家に帰ってからは畑仕事。夜も昼も働いた。芋を作っていたが、バザールに出る暇がなく、秋に収穫したのを冬の間保存しておいて春になって売ったりした。子どもたちは朝鮮語学校に通っていた。学校でも家でも日本語は禁止していたため、子どもたちはまったく日本語がわからない。永住帰国はしない。なぜなら50代の子どもたちが日本語を習うには遅すぎる。朝鮮語は「朝鮮人に囲まれて生活したから何時の間か覚えちゃった」と笑う。

 二人の話をかいつまんで書くと、

◇朝鮮人との生活は、戦後、食料難で若い娘を嫁に出す家庭が多かった。そのとき、皆戦争で亡くなったりして日本人男性は少なく、周りには朝鮮人男性かロシア人ばかり。しかしロシア人よりは同じ東洋人で働き者で、言葉も通じる朝鮮人がより近い民族だった。好きになって結婚した人もいれば、朝鮮人に言われ、半強制的に娘を渡した親もいたが多くはないと思う。

◇愛情で一緒になったわけではないから、仕方なく子どものことで一緒に暮らした人が多いでしょう。子どもを置いて引き上げることはできなかった。

◇朝鮮人とは同じ民族のように仲良くしてきた。しかし、肩身の狭い思いをしたときもあった。

◇日本時代は皆給料を貰っていると思う。朝鮮人の親方が間で着服した例が多い。知っている人だけでも何人もいる。(当時の)貯金は日本人も皆貰ってない。(引揚げた人たちも)恐らく貰ってないと思う。国が滅びた時代だから、そんなことは考えられなかっただろう。すべてを捨てて裸で帰国した引揚者たちの苦労も大変だったようだ。

◇サハリンでの暮らしは悪くない。自然も多いし、食べ物だって幾らでもある。安全で仕事さえあれば帰国しようと思わない。

◇クリル問題(北方領土問題)については、ロシア人は絶対渡そうとしないだろう。自分らで処理できないくせに渡そうともしない。日本とうまくやれば住民たちも仕事ができ、生活がよくなるだろうに。

◇正式なロシア語教育を受けてないから、ロシア語はよくわからない。日常会話は問題ないが、難しい話はよく理解できない。(家庭では朝鮮語を使っている)