現代時評《煽る日米、怒る北朝鮮》山梨良平

金日成広場にて

北朝鮮の朝鮮中央通信は2月20日、西部に展開する朝鮮人民軍部隊が軍事デモンストレーションとして、口径600ミリの超大型放射砲(多連装ロケット砲)2発を発射したと報じた。我が国は当然のことながら北朝鮮に対して「北京の大使館を通じて厳重に抗議した。」 と発表した。
時事通信は、《北朝鮮が短距離弾道ミサイル2発 与正氏「太平洋」への発射警告―国連安保理、21日緊急会合》と続いて報じた。

つまり2日続けて大陸弾道弾と多連装ロケット砲を発射したというわけである。北朝鮮の真意はわからないが《「前例のない 強力な対応に直面する」北朝鮮が警告 来月予定の米韓合同軍事演習 」》と反発していた。一方の韓米両軍は、来月中旬に合同軍事演習「フリーダムシールド」を11日間にわたり行う予定で、今回は5年ぶりに大規模な野外機動訓練を再開する予定だという。この演習は北朝鮮の目と鼻の先で行われるらしい。 続きを読む 現代時評《煽る日米、怒る北朝鮮》山梨良平

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバ、陽気の国#2”片山通夫

フローズン・ダイキリ

先にヘミングウエイがこよなく愛したというフローズン・ダイキリのことを書いた。このカクテルぼ作り方を後々に言葉が少しわかるようになってから、某バーテンダーに教えてもらった。ベースはラム酒。それも彼曰くは”ハバナクラブ”というラム酒。結構日本では高い。15年モノでは一本(700ミリリットル)2万円前後する。そこまで行かなくても良いとは思う。3年モノでは2000円位?。
値段はともかく、そのハバナクラブをベースにする。

●ホワイトラム         40ml
●ホワイトキュラソー      1tsp(ティースプーンの略)
●ライム(又はレモン)ジュース 1tsp
●砂糖(又はガムシロップ)   1tsp
●クラッシュアイス       1カップ
 (グラスに軽く山盛りぐらい。)

ミキサーにクラッシュアイスを入れてラムその他の材料をミキサーで混ぜる。
氷が白くシャーベット状になったら口の広いシャンペングラスに注いで二本に切った
ストローをシャーベットに差し込む。

夏になるとこれがおいしい。
あれ?ボク、何を書いてるんだろう???

お断り:Lapiz online が始まりました。是非こちらもお読みください。
しばしそちらで多忙となりそうです。
本稿はしばらく休載させていただきます。

「持続可能な開発目標」609studio編集部

SDGs (Sustainable Development Goals) への理解と取り組み

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2022年も終わりに近い12月。世間の年末のあわただしさを感じた頃の話。SDGs (Sustainable Development Goals) を考えるにあたり、さて自分に何ができるかと考えた。そう簡単に何かができるわけでもない。人に言うほどのことでもない。いや、黙って見過ごすこともできるがそうもいっておられない地球の環境だ。これでも必死に考えた。けどなんとなくテーマが大きすぎる。じっくり考えよう。今個人で思いつくことは紙の減量だ。ついては年賀状をやめようという安直さ。我ながら情けない。

参考:国連や我が国の関連サイトをあげてみる。
⇒地球環境を守りつつ、社会の繁栄を推進するために世界を変えようという運動の骨子となるもの。17の分野の目標から構成され、2030年までの達成を目指して、2015年9月の国連のサミットで全会一致で採択された。
我が国の取り組み
国連広報センター

 

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバ、陽気の国#1”片山通夫

ハバナ旧市街で

まだまだ言葉もなにもわからなかった時に、堀田善衛氏の”キューバ紀行”という本はボクにとって最大のバイブル(無神論者だけど)だった。その中でとても印象的なエピソードがひとつあったので紹介したい。 (堀田善衛 キューバ紀行から)

すなわち、まず呑気で陽気であること、ナマケモノ、音楽好き、踊り好き、チャチャチャ、ルンバ、コンガ、ボサノバ、パチャンガ、カリプソなどの音楽のリズム、力ン高くひびきのいいスペイン語の発音、
 それから視覚に訴えるものとしては、青い青い空、パステル・グリーンのカリブ海、椰子の木、
 まるでカラーフィルムの広告のためのような風光、大きな帽子のソンブレロ、男はスペイン風のヒゲ、
 そうして女の子はオッパイが大きくて、お尻もまた立派で、部屋へ入って来るときには、まずオッパイから入って来て、出て行くときにはお尻がなかば永遠に残っている。……

わかります?この描写。ボクはこの描写の世界に迷い込んだわけである。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバ革命 #3”片山通夫

ケネディ(右)とフルシチョフ

ついでと言ってはいけないだろうけど、もう一つキューバをはさんで世界中が震撼した事件があった。キューバ危機(、英: Cuban Missile Crisis、西: Crisis de los misiles en Cuba、露: Карибский кризис)は、1962年10月から11月にかけて、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設していることが発覚した事件である。

ソ連のフルシチョフはまさにアメリカののど元に短剣を突きつけたのだった。
事件は、1962年夏、ソ連とキューバは極秘裏に軍事協定を結び、キューバに密かに核ミサイルや兵員、発射台、ロケット、戦車などを送ったことに始まる。アメリカの偵察機がキューバのに建設されたミサイル基地を発見し、事態は大きく報道されてアメリカのケネディ大統領とソ連のフルシチョフ第一書記の間で書簡の交換を繰り返し危機を抑え込んだ。この危機はそれぞれの国での指導者の立場が複雑に彼見合っていたと考えられる。ちなみに1964年10月に解任された時は東京オリンピックの最中だった。オリンピックのニュースとともにフルシチョフ解任のニュースは世界に衝撃を与えた。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバ革命 #2”片山通夫

ピッグス湾

一方アメリカは亡命キューバ人を利用してピッグス湾事件(スペイン語: Invasion de Bahia de Cochinos、英語: Bay of Pigs Invasion)を起こした。ケネディ大統領の1961年の事で前任のアイゼンハワー大統領時代に立案されていた侵攻案を承認した。在米亡命キューバ人部隊がCIAの全面的な支援でグアテマラで軍事訓練の後、キューバに侵攻してフィデル・カストロ革命政権の打倒を試みた事件。ソ連の支援を受けたキューバ革命軍が勝利し、この作戦を主導したアメリカは世界から非難された。この事件後カストロのキューバはますますソ連を頼るようになった。

今少しウイキペディアを参考にアメリカとの関係を見てみる。1959年5月にカストロは農地改革を断行し、6月にアメリカの資産を国有化したため、アイゼンハワー大統領は対抗策としてキューバの最大の産業である砂糖の輸入停止措置を取る形で禁輸措置に踏み切った。これに反発したカストロ首相は、弟のラウル・カストロを冷戦下でアメリカ合衆国と対峙していたソ連の首都モスクワに派遣し、1960年2月にアナスタス・ミコヤン第一副首相がハバナを訪問し、1億ドルの借款供与、砂糖買い付け、武器売り渡しを柱とする経済協力協定を結んだ。

現代時評《飢餓で日本が死ぬ!》片山通夫

ウクライナがロシアに攻め込まれて一年。戦争は一向に治まる気配はない。また我が国は中国や北朝鮮から見れば完全に米国支配下に置かれている敵性国扱い。「台湾有事」に沖縄が危ないとばかりに「敵基地先制攻撃」を可能にして防衛力の増強に岸田内閣は踏み切った。
筆者に言わせれば「なんとまあ、極楽とんぼ!」と言わざるを得ない。ロシアでは物価は上がり市民生活を圧迫しているだろう。しかしロシアは世界有数の産油国であり、また有数の農業国でもある。

2019年2月の農林水産政策研究所 上席主任研究官 長友謙治氏の報告によるとロシアの食料事情は次の通り。
【穀物の大生産国ロシア】
・麦類の生産量は世界有数。小麦:85百万トン(世界4位)、大麦:20百万トン(世界2位)
・トウモロコシの生産量が増えているが(13百万トン)、麦類ほど多くない。
ロシアでは栽培適地が限られている。(降水量が少なく、暖かい期間が短い)

一方の我が国は「先進国で自給率最低で食料安保を脆弱になってしまった。。
驚くなかれ、世界最大の食料輸入国であり、カロリーベースの自給率がたった38%である。
2月6日の衆議院予算委員会で、立憲民主党の野間健議員は岸田首相の施政方針演説について、次のように指摘した。
「岸田総理が施政方針演説で農業に言及した箇所は、1万1,494字のうち121文字しかなく、過去20年間の施政方針演説で最も少ない。・・・カロリーベースの食料自給率がたったの38%にすぎず、食べ物はおろか種や肥料、牛や豚の飼料さえも他国からの輸入に依存するこの国で、アベノミクスの末路ともいえる円安が進み、高値で爆買いする中国に買い負けている」

参考: https://www.youtube.com/watch?v=Gi_pIMVtoAA

想像力が欠如しているとしか思えないのが、岸田政権がとろうとしている「防衛力の強化策」だ。国民生活の安定・安寧をさておいて、防衛力に莫大な予算を組もうとしている。
食料が不足するとどうなるか?戦前の状態を見れば明白である。ところが「戦後も終わった」と政治家が豪語する割にはこと食料生産においてはいかがなものだろう。
先のオリンピックで完成したスタジアムは現在のところ利用者はいないか極端に少なく、当初の思惑とはかけ離れているとか。グランドを畑にでもするつもりなのかもしれない。参考のため戦前の国会議事堂前の写真(左)を貼っておく。

そういえば、昨今異常気象が世界を襲っている。おまけにロシアとウクライナの戦争、世界有数の穀物輸出国である両国の戦争は食料の国際価格の高騰・不足を招いている。近い将来、我が国でも食料自給問題に跳ね返ってくる危険性が大きい。

また台風やそれに伴う水害などはすでに毎年起こっている。「命を守る対策」とテレビをはじめとする報道機関は叫ぶが根本的な解決はなかなか示してくれない。
実際に別の意味でも「命を守る対策」を考えなければならないのではないか。 続きを読む 現代時評《飢餓で日本が死ぬ!》片山通夫

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバ革命 #1”片山通夫

フィデル・カストロ(右)とチェ・ゲバラ

キューバ革命(キューバかくめい、スペイン語: Revolucion cubana)は、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらが中心となってアメリカ合衆国の影響が強かったキューバのフルヘンシオ・バティスタ政権を打倒するに至った武装解放闘争を指す。最初は決して社会主義革命ではなかった。しかしおそらくカストロたちに倒されたバチスタ政権が、アメリカ資本に許していた利権などを奪われると慌てたアメリカ資本が、米政府を後押ししてカストロたちの政権を倒そうとしたのだと思う。そこへ冷戦時代のもう一つの雄ソ連がカストロたちの政府を支援した。それに慌てた米政府という冷戦構図がアメリカの喉元・マイアミ沖のカリブ海で繰り広げるという話。もちろん社会主義革命を嫌ってアメリカへ”亡命”したキューバ人も多かった。マイアミには今もそんなキューバ人の町が残っている。
砂糖しか採れないキューバ、暖かい地域で出来る砂糖。ソ連は国際価格より高い値段でキューバの砂糖を買い付けキューバの経済支援をした。(続く)

 

ONCE UPON a TIME 外伝 ”まずはBarへ。#3”片山通夫

フローズン・ダイキリ

ついでにと言っては失礼だがもう一つカクテルを紹介したい。キューバと、かの文豪、アーネスト・ヘミングウエイ(1899年7月21日 – 1961年7月2日)とは浅からぬ関係らしい。
ヘミングウェイは1953年にピューリッツァー賞、1954年にはノーベル文学賞を受賞したキューバの海を舞台にした小説「老人と海」を書いた。https://onl.tw/iMiaB9D

その彼がこよなく愛したといわれるカクテルにフローズン・ダイキリがある。
フローズンでないダイキリはアメリカンスタイルと呼ばれているようだ。
「老人と海」は日本でも多く翻訳されているのでご存じの方も多いだろう。
簡単に説明すると、キューバに住む一人の老漁師が84日間もの不漁の後、巨大なカジキを3日間にわたる死闘の末に捕獲するが、その後にサメに襲われ、獲物を食い尽くされてしまうという話である。食いつくされた残骸をみた港の男たちは老人が巨大なカジキを釣ったことを知る。

今もヘミングウエイがよく飲んでいたというバーは存在するし、彼の別荘は博物館になっている。

パパ・ダイキリ
フローズン・スタイルのカクテルの代表格であるフローズン・ダイキリは、ヘミングウェイが愛飲したことで知られる。ヘミングウェイが好んで呑んだとされるスタイルはパパ・ダイキリと名づけられた(ヘミングウェイは、モヒートも愛飲した)。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”まずはBarへ。#2”片山通夫

なんとも皮肉な名前のカクテル。自由キューバ!コカコーラはアメリカの象徴、そしてキューバのラム酒。
ボクは片言の英語でバーテンダーの男とそのことを教わった。そしてこの飲み方は米西戦争時の米軍将校が飲んだの見方だったとか。ちなみにアメリカでコーラは1886年ごろから薬として販売されていたようだ。

クーバ・リブレ
ライムジュースは、ライム1/4個をグラスの上で搾り、そのままグラスの中に落し入れるか、またはグラスに飾って飲み手の好みで酸味を調整するか、どちらでもよい。ただし、この場合はマドラーを添える。1900年、キューバ独立戦争(米西戦争)時、スペインからのキューバ独立を支援するアメリカ陸軍通信部隊のラッセル大尉が、ハバナのバーで、このレシピでの飲み方を愛した。8月のある夜、その飲み方を真似た兵士たちが大いに盛り上がり、大尉に乾杯の音頭を迫った。大尉は乾杯の言葉として「Cuba Libre」(キューバの自由のために)と発し、それがカクテル名になったと伝えられている。「キューバ・リバー」の表記も多くみられるがあくまで本来は自由なので!。
参考

現代時評《超法規の国、ロシア》山梨良平

ウクライナにロシアが侵攻してはや一年が経とうとしている。この一年、男をあげたのがウクライナのゼレンスキー大統領、反対に男を下げたのがロシアのプーチン大統領だ。
プーチン大統領の考えや行動には、怒りとともに呆れるが、中でも筆者が「これは!?」と思うのが傭兵組織ワグネルの起用である。ワグネルの創始者は周知のように、元はプーチン大統領の料理人だったとか。いわば一番プーチン大統領に近い立場だったのだろう。敵の多い大統領にとっては料理人は一番信頼できる人間でなければ採用しないだろう。

そのワグネルがこともあろうに刑務所で兵士募集を始めた。もちろんプーチン大統領のも黙認もしくは許可のもとにだろう。漏れ聞こえてくる話では、半年間戦争に参加すれば背負っている罪を帳消しにして給与まで払うということらしい。ということは凶悪犯も半年後には無罪放免で野放しになるということである。市民にすればとんでもない事だと思われる。

いや、市民はもちろんだろうが、ロシア国防省の面々、つまり正規軍の立場から言えば面目丸つぶれということ以外に考えられない。警察と国防軍とは様々な面で繋がっているはずだ。事件が起きて必死で捜査して犯人を逮捕し、裁判にかけ、刑務所に収容した囚人を如何に私兵と言えども、いや相手が私兵だからこそ開放を黙認できるはずがないと思う。

ところが先日突然刑務所での徴兵をやめると発表した。何処からかクレームがきたのか、ワグネルの傭兵資金が枯渇してきたのか、正規軍からクレームが届いたのか、プーチンが正規軍のクーデターを恐れたのか、理由はわからない。筆者が考えるに、おそらくこれらすべての理由からだと思う。規律を重んじるはずの軍隊が超法規のワグネルをいつまでも野放しにしているプーチン大統領に苦言を呈したのかもしれない。それにしてもワグネルの資金は何処から出てるのだろう?

影の声が聞こえてきた。安倍政権時代の我が国もあまり変わらん?
河井夫妻事件!

ONCE UPON a TIME 外伝 ”まずはBarへ。#1”片山通夫

キューバのバー(イメージ)

ここまで来たらもう落ち着いた。まともに言葉が通じるわけでもない。唯一通じやすいのはBarだ。それにこの国はヘミングウエイ以来、いやバチスタ政権以来、アメリカの歓楽地と化していたようだ。酒に関してはボクなんて足元にも及ばないだろう。いくら社会主義なのか共産主義なのかは知らないが。そういえばソ連も中国も酒は欠かしてなかったように聞いた。メキシコはテキーラが国民酒、この国はラム酒がそれだ。
となると、当面しなければならない事もないから、夕方にちょっと散歩してからBarを探した。なんの!驚くなかれこのホテルにもBarがあった。

入ってゆくと気のいい男が案内してくれてカウンターに座った。さすがに元ヒルトンホテルのバーだ。ボクが行ったのは革命後10年なので少し薄汚れていたが、バーテンダーが必死で磨き倒している様子が見て取れる。何しろこっちは若造だしあまりお金もないしで、覚えたてのカクテル名を頼んだ。「クーバ・リブレ」。

そういえば元ヒルトンのこのホテルの名前もHabana Libreだった。Libreは自由という意味のスペイン語。そして頼んだカクテルは・・・。
ラム酒をコカコーラで割ったカクテル。コカコーラはすでにこの国ではなかったので、それに類したコーラだった。(この項続く)

ONCE UPON a TIME 外伝 ”906がボクの部屋番号”片山通夫

Cubana de Aviacion

Cubana de Aviacionの機種は覚えていない。決して大きくもなければ豪華でもなかったように思う。ソ連製の機体だった。写真の一枚も撮っておくべきだった。驚いたことは機内で葉巻をもらったこと。cigarroというから紙巻タバコかと思ったら葉巻だった。そのころボクは煙草を吸っていた。他の乗客はその葉巻を吸いだしたのには驚いた。機内がもうもう・・・。

3時間ほどのフライトでのどかな空港に到着した。空港の名前は革命戦士の名前をとったホセ・マルティ空港。お断りしておくがホセ・マルティ空港をインターネットで探してもボクが降り立った空港ではないのだ。はっきり言ってえらく綺麗で豪華な空港になっている。当たり前だが。

ボクは機内で名前を呼ばれて最後に降りた。そして空港の一室に案内された。内心(これ、やばくない?)と思ったが、とんでもない。とても親切な待遇だった。そして車に案内されてハバナ市内へ。とんでもなく大きなホテルに着いた。
ホテルの名前はHabana Libre。後でわかったことだけど革命前はアメリカ資本のヒルトンホテルだったとか…。こんな豪華なホテルに泊ったのははじめての経験。古いけど。

今でも覚えていること。906はボクの部屋番号である。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”Ciudad de Mexico”片山通夫

キューバ航空機

カタカナで書くと”シウダ デ メヒコ” と読む。そのまんまメキシコシティ。
は知らなかったが、それにメキシコ合衆国らしい。アメリカだけじゃなかった、合衆国は。
それはともかく、とりあえずホテルを探してバスの旅の垢を流した。さっぱりと!
そして日本を出るときに聞かされていた電話番号をダイアルした。日本航空メキシコ支店だった。電話の相手はボクが今何処にいるのかと聞いてきた。ホテルの名を言うとすぐにチェックアウトしてロビーで待つように言われた。
なんでもまもなくハバナ行きの便が出るらしい。ボクにとってはそんなの知らんがな…である。とにかく迎えに来てくれて空港まで送ってもらった。日本航空の飛行機に乗るわけでもないボクを親切に面倒を見てくれたわけだ。いずれにしても日本航空のお世話になった。

そして空港でまたひと悶着。搭乗手続きを済ませてまでは問題なかった。メキシコのイミングレーションも問題なかった。登場ゲートの手前で「US Emigration」と書かれた所があるので、それを見ながら「おかしいな。ここじゃないのか」とハバナ行きの出発ゲートを探していた。すると「ハバナ」と呼ぶ声がした。やはりそこだった。つまりキューバへ行く客は「アメリカの出入国管理」を再び通らなかったら行けないのだ。そこでパスポートとビザのチェック、コピー、ボクの写真をとられた。アメリカという国は何処までも厚かましい。こんな経験はずっと後でアルメニアでもあった。アメリカじゃなく、ロシアだったが。

結局少し遅れてボクは座席に座ることができた。 航空会社はCubana de Aviacion。

 

現代時評《起こるか?クーデター》片山通夫

もちろん私の単なる推論でしかない話だが、昨秋から今に至るまで、ロシアの状況はあまり芳しくないようだ。当初、つまりほぼ一年前に満を持してウクライナに攻め込んだのはいいが、ウクライナ国境付近に車列64キロが衛星写真で撮影された。無論この車列はロシア軍のものだ。つまり何らかの理由で前に進めなくなったわけだ。通常の考えでは燃料の補給や車両の不備が原因なのかもしれないと思う。プーチン氏は「キエフ(今はキーフ)を1週間で陥落させる」予定だったようだ。その64キロメートルの車列は混迷する戦況の予兆だった。 続きを読む 現代時評《起こるか?クーデター》片山通夫

ONCE UPON a TIME 外伝 ”メキシコはメヒコというらしい”片山通夫

グレイハウントバス

アメリカとメキシコの国境のゲートは問題なく通過できた。きっと旅行者なんてはいて捨てるほどいるのだろう。アメリカ側で一緒になったアメリカ人が十数名一緒に越えたことも大きかったのかもしれない。とにかく彼らとはメキシコシティまでは同じバスで移動するというので、まったくスペイン語のできないボクは心強かった?!少し歩くとバスの停留所があった。そこに制服も来ていない男が

タコス
サボテン
サボテン

立っていて案内している。パスポートに書かれた名前とメキシコのビザ、それにバスチケットを見せると傍らに止まっているバスを指さす。言っちゃ悪いが、まったく田舎のおんぼろバス。それまでの快適なエアコン付きのバスと雲泥の差。ついでに言うとメキシコのバスはトイレもなかった。
時折止まるバスステーションでトイレ休憩と簡単な飲み物やスナックを手に入れる。時にはバナナ、ヤシのジュース。
当然メキシコの通貨だったが、いつ何処で両替したのかは記憶にない。
何しろはじめてのメキシコの旅だったので、見るものが珍しくそちらの方に気がイっていたのだと思う。鮮明に覚えているのは人の背丈ほどもあるサボテンとタコスという食べ物。
いずれにしても今更と言われるだろうがボクには珍しかった。こうしてボクらのバスの旅は何日か続いた。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”サンフランシスコからメキシコシティへ”片山通夫

国境を通る車(イメージ)

グレイハウント(バス会社)のチケットをよく見ると、ロサンゼルス発になっている。バスセンターでそれを指摘されロサンゼルス行のバスに乗った。その後ロサンゼルスで乗り換えてようやくメキシコシティ行のバスに乗ることができた。
記憶はあやふやだが、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴとメキシコのバハカリフォルニア州ティフアナが最西端の国境の町だった。国境はちょうど日本でいうと高速道路の料金所のような佇まい。車ももちろん国境を越えることができるが、ボクはその手前のグレイハウントのバスディーポでおろされて徒歩で渡った。国境を歩いて渡ったのははじめてだった。島国に生まれ育ったボクは「国境を歩いて渡る」というのが新鮮だったことを鮮明に覚えている。

ここで断っておくが、ボクは英語を含む外国語は出来なかった。それでも横浜からサンフランシスコの2週間で英語は何とかだいぶましになったと思っている。そしてメキシコシティの1週間余り、同じバスに乗った人たちとも仲良くなり意志の疎通は図れた。もちろん賢明な読者の皆さんのレベルでは決してない。ということはスペイン語なんて・・・。

以前、まだ学生の頃、中国へ行った。中国は「書けば通じる」所だった。しかしアメリカは・・・。ましてメキシコは!!

ONCE UPON a TIME 外伝 ”キューバへ行くのか?”片山通夫

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先に書いたように、アメリカとキューバは犬猿の仲。「キューバへ行くのか?」税官吏は驚いたように2度そう叫んだ。そしてボクのバックの中を徹底的に調べだした。特に何もないのでそれ自身は簡単に終わった。子細に調べたのは荷物よりもパスポートとチケット。(何を疑ってるのだろう?)
しかし怪しいところはないので、それも無事に終わった。最後に今も鮮明に覚えているが、彼は自分の手で自分ののど元を切るしぐさをした。「カストロ!」と言いながら。きっとそんなところへ行けば殺されるぞと言いたかったのだろう。
それでもようやくサンフランシスコの港でホテルを予約し町に出た。バスは明日出発。
ボクは「ホノルルでアメリカに入国した」と思っていたが、アメリカ本土にはまだ上陸していなかったので「入国はしていない」のだそうだ。
その夜ボクは船室で仲良くなった日本人とホテルの部屋で語りあかした。彼はウルグアイのモンテビデオへ明日午後に飛ぶらしい。キューバも人を驚かせるようだが、モンテビデオにも驚いた。

ONCE UPON a TIME 外伝 ”いよいよアメリカ”片山通夫

Golden Gate Bridge

横浜を出て2週間ほど経った。サンフランシスコに着く。しかしその前に海流の影響か海はすごく荒れた。海流のせいだとかいうらしいが、英語の説明は正直よくわからなかった。汽船は1.5万トンの大きな船。太平洋を渡って来て初めての揺れだった。揺れが収まったところで美しい橋が目の前に現れた。Golden Gate Bridgeである。なぜ金門橋と呼ばれるのかは英語がわからなかったのでその時はわからなかったと正直に白状する。
いよいよ上陸だ。体育館のような広さのイミングレーションと税関が控えている。ボクは一応アメリカの通過ビザを持っていた。通過ビザなのでその先何処へ行くのかが明確にしなければならない。ボクはメキシコへ行くといった。グレイハウントという全米をカバーするバス会社のメキシコシティまでのバスチケットを見せた。

 

ONCE UPON a TIME 外伝 ”ホノルル上陸”片山通夫

クリーブランド大統領

4月の日本は寒くはないが決して暑くはない。横浜では桜はすでに散って東北辺りで満開だと思われた。前に書いたが乗っていた豪華な客船はクリーブランドというアメリカ大統領の名前がつけられていた。
それはともかく、船はハワイ・ホノルルに着岸した。24時間だったかの滞在である。下船時の持ち物は現金、水泳具一式、カメラだった。残念ながら国際免許はもっていなかった。まさかハワイでドライブできるとも思っていなかったので、持ち出さなかった。
まず他の乗客とワイキキへ行き泳いだ。海の色は濃く雲は白く空はあくまで青かった。

そうこうするうちに泳ぐのも飽きてきたのでレンタカーを借りようということになった。船で同室の仲間とで。
書くのが遅くなった。僕の部屋は所謂船倉で窓のない6人部屋だった。
レンタカーはすぐに借りられた。ただし前金。金額は忘れた。
その車であちこち走り、最後に日本から移民してきた大家族と知り合った。
総勢20人くらいいたと思う。なんでもバナナのプランテーションで働いているとの話氏だった。夕日に映える家族写真は圧巻だった。でもカラー写真でなくて今のようにデジタルでもなかったので後日郵送するということにした。

Photo&Journal P:India